#
# #
# LANG

時の羅針盤・177

時の羅針盤・177

祈る

高橋佳子


1年の日々に感謝する

今年2018年も、残すところ1カ月となりました。

年の瀬に向かってせわしくなるばかりの時の流れ──。その中で心を落ち着けることは至難のことですが、今日はぜひ、少し立ち止まって、今年1年の歩みを振り返ってみていただきたいのです。

この1年に刻まれた数え切れないほどの出会いと出来事には、いかなるものがあるでしょうか。あなたの心に、忘れることのできない経験として刻まれたものもあるでしょう。一方、すでに記憶の底に沈んでしまったものもあるかもしれません。

でも何よりも、そのすべてが、私たちの1年という歳月を現実のものにしてくれたことは、否定のできない事実です。そこに託された青写真(*1)が具現されようとされまいと、そのチャンスをつくり、運んできてくれたものたちにほかなりません。

だからこそ、まず、私たちは、その数え切れない断片に、そしてそれらを私たちにもたらしてくれた大いなる存在に、心からの感謝の想いを刻ませていただきましょう。

今一度、それらを心に呼び出して、去りゆく2018年の足跡として、想いの中で、心の内で、噛みしめたいと思うのです。

祈り心を忘れない

そこには、心を悩ませるような出来事や、心を圧迫する緊急の事態など、いくつもの問題や試練があったでしょう。また、どうしても果たしたい願いや目標を抱いて向かい合った事態もあったかもしれません。

それらの現実を少しも避けることなく、また先送りにすることなく、正面から向かい合い、取り組むことができたでしょうか。

そうできたとしたら、そのとき、あなたは、何とかしてその現実を改善したいと力を尽くしたはずです。何とかして青写真を具現しようと、そこに1歩でも2歩でも迫ったはずです。

そして、きっと、その歩みの陰には、「祈り心」が湛えられていたのではないでしょうか。困難に心折れることなく、わずかでも助力がもたらされるように、自分を超える存在に自らを預け、大いなる導きを願ったのではなかったでしょうか。

私たちが生きるこの世界は、「忍土」(*2)の条件を抱えているものです。そこには「崩壊」(*3)と「不随」(*4)の定が貫かれ、どんな小さなことでも、私たちが思い通りにできるものはありません。

だからこそ、その世界を生きる私たちは、「祈り心」を忘れてはならないのだと思うのです。

辞書には、「祈りとは、神仏に加護、救済などを請い願うこと」とあります。

自分の手には負えない出来事や事態の1つ1つ──。それゆえに、祈りとは、それが少しでも願う方向に導かれるように、自らの歩みに大いなる助力が与えられることに心を傾けることにほかなりません。

祈りの本質──大いなる存在の気配に身を委ねる

しかし、祈りの本質とは、そうした個々の懇願や願望と、常に一緒になっているものではないと私は感じています。

もちろん、多くの方が抱く祈りの出発点は、そうした自分の願いや願望かもしれません。でも、祈りの本質をたどってゆくならば、私たちはいつでも、もっと広々とした地平に誘われています。

自分の希望や願望ということを超えて、世界に流れる大いなる存在の気配に自らを委ねること自体が祈り──。ここそこにあふれる大いなる存在の意思の流れ、神様の息に乗ることこそが祈りの本質です。

そのとき、私たちは自分の願望を超えて、世界に現れるべきが現れ、私たちが往くべきところに往くことを願う境地に誘われることになるのです。

どうか、世界に現れるべき現実が現れますように──。

どうか、往くべきところに往くことができますように──。

その祈りをいついかなるときも、秘めて歩むことができることを願わずにはいられません。

2018.11.28

〈編集部註〉

*1 青写真

どんなものにも青写真がある──。何かを実現しようとするとき、私たちはまず、そこには本来あるべき姿──青写真があることを思い出さなければなりません。そしてそれは、あらゆる場合に、求めるべき解答があり、そこにアクセス可能であるということを意味しています。言葉を換えるなら、どんな事態にも最善の道が必ずあるということです。
(著書『魂主義という生き方』147〜150ページより一部抜粋・要約)

*2 忍土

自分の思い通りになどめったに事は運ばれず、現実は、いつも試練や理不尽さと背中合わせです。/この世は天国ではないという事実──。それを私は、「この世は忍土である」と、仏教の言葉を使って表現してきました。/『忍土』とは文字通り、心の上に刃を乗せて生きる場所、堪え忍ばなければならない場所を指すものです。その忍土に生きることは、つらいこと、堪え難いことを受けとめなければならないということなのです。
(著書『あなたが生まれてきた理由』58ページより引用)

*3 崩壊の定

「崩壊の定」とは、仏教が「諸行無常」という言葉で示し、科学が熱力学の第2法則「エントロピー増大の法則」として示した無秩序化の法則です(エントロピーとは、煩雑さ、無秩序を表す物理量のこと)。私たちの世界では、あらゆるものごとが無秩序に向かい、そのままでは決して逆の秩序に向かうことはないのです。
(著書『1億総自己ベストの時代』150ページより引用)

*4 不随の定

不随とは、思い通りにならないこと──。「不随の定」は、すべてのものは複雑な関係の中にあり、私たちの思い通りにはならないことを教えるものです。仏教においては、「諸法無我」という言葉で示される法則です。
(著書『1億総自己ベストの時代』150ページより引用)