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時の羅針盤・176

時の羅針盤・176

出力する

高橋佳子


人間の成長と進化を支える両輪

「魂の学」(*1)は、私たち人間の可能性を追求する道という側面を抱いています。人間の内なる可能性をいかに解放するのか。人間がどのような進化を果たすことができるのか。そして、人間が営む人生に託された使命、それぞれが抱いている魂の目的をどう生きることができるのか──。そのための道や具現の方法を探究し、人間の成長と進化という現実を生み出すことを願っているのです。

そして、その側面において、大きな力となるのが、「理論」(研鑽)と「実践」という体系の骨格です。

「理論」(研鑽)とは、私たちが人間をどう捉えるのか、人生をどう受けとめ、人間と世界の関係についてどう考えるのかということです。こうした根本的な認識の変容が起こるとき、私たちは、明らかに進化を手にすることができます。

しかし、それを本当に確かにするには、一方の「実践」が不可欠なのです。

かつて、私は、この誌面で、「理解と行為」という連載を長らく続けていたことがあります。そこで考えていたこともまったく同じです。

人間の成長と進化において、その両輪となるのは、認識の進化をもたらす「理解」と、それを現実のものにする「行為」であるということです。「理解」と「行為」があって初めて、私たち人間の成長・進化は確かなものになる──。この「理論」(研鑽)と「実践」の関係は、「魂の学」創成のときから、はっきりと存在する座標軸なのです。

実践──出力することの大切さ

理論を学ぶ(研鑽する)ことによって、私たちは、自分の認識を新たにします。もちろん、理論の中には、実践の方法に関わる部分もあり、具体的な生き方や方法を直接提供している部分も少なくありません。しかし、全体として、理論を学ぶこと、研鑽することの重心は、認識の進化(深化)にあるのです。

受発色(*2)で言えば、受信の本来化や進化に比重があると言ってよいでしょう。まさに新たな目を持つことが、決定的な意味を持っているということです。

この受信、認識のはたらきがもたらしているものを、「魂の学」では、「アウトサイドイン」という言葉で表します。アウトサイド=外側から、イン=内側へと、受けとめ、吸収する。内側に入力する。まさに理論を学ぶこと、研鑽の歩みは、この「アウトサイドイン」を積み重ねていることになります。

しかし、重要なことは、その蓄積を本当に生かすためには、そこで受けとめ、吸収したものをもう1度、外側に出力しなければならないということなのです。「アウトサイドイン」の歩みを確かなものにするには、それを生きてみること──。実践して初めて、学んだことが自分のものになると言っても過言ではないのです。

それを「魂の学」では、「インサイドアウト」と言います。インサイド=内側にあるものを、アウト=外側に出力する。発信し、出力することによって、私たちの理解は、よりはっきりと輪郭のあるものになるのです。

「アウトサイドイン」と「インサイドアウト」の循環こそが、私たち自身の成長・進化の歩みを促進する力であるということです。

インサイドアウトに重心を置いてみる

「魂の学」を学んで発見したこと、初めて知ったこと、そうした驚きや発見、認識の変化を自分のものとして、外に現すことが大切です。

学んだことを生きてみる。誰かに話してみる。伝えてみる。そのような「インサイドアウト」の歩みに重心を置いてみるのです。

理論的には、認識が変われば、行動は自ずから変わるはずです。しかし、現実には、単純ではありません。人間の無意識の行動は、大きな慣性力を抱いているからです。

だからこそ、何よりも行動してみる。外に現してみる。出力してみることを大切にする。そのくらいの気持ちで取り組んで、「アウトサイドイン」と「インサイドアウト」はバランスし、循環するようになるのです。

今月は、ぜひ、「魂の学」の研鑽と実践を、「アウトサイドイン」「インサイドアウト」の観点から見つめてみてはいかがでしょうか。

2018.10.26

〈編集部註〉

*1 魂の学

人生を魂の次元から捉えるまなざしであり、人間の魂と世界を貫く真理=神理の体系のことを言います。形のある、目に見える世界を対象にしてきた「現象の学」に対して、形のない、見えない世界も含めた全体を扱います。
(著書『あなたが生まれてきた理由』13〜14ページより一部抜粋・要約)

*2 受発色

「受」とは、私たちが現実(外界)に生じた出来事を心(内界)に受けとめる受信のことで、「発」は、受信を受けて外界に関わってゆく発信のこと。「色」は仏教の言葉で、目に見える現実──人のことも含めて事件や出来事、外界のことを言います。人間は、生きている限り、この「受発色」のトライアングル(三角形)を回し続け、たとえ無自覚であったとしても現実を生み出し続けているのです。
(『神理の言葉2012』66〜67ページより一部抜粋・要約)