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GLAの歩み(経典と歴史)

GLAの歩み(経典と歴史) (教典・歴史)

GLAの教義を著した代表的な教典について、3つに絞ってご紹介します。
また、1969年の創立から現在に至るまでのGLAの歩みの大略を、主な出来事を中心に描いています。

GLAの教典

新・祈りのみち ──至高の対話のために

『新・祈りのみち』について、高橋佳子先生は、その著書の中で次のように記されています。

「いついかなる時も、私たちが自ら自身に立ち還ることができるように ──。孤独感や虚しさが癒やされ、降りかかるどんな厳しい現実に対しても、勇気を持って引き受けることができるように ──。そして、常に私たちに呼びかけられている大いなる存在・神の声に耳を傾けることができるように ──。

そんな願いから、本書は生まれました。いわば、人生の同伴者とでも申しましょうか、嬉しいときも悲しいときも、あなたの傍らに置いて人生の道を歩んでいただけたら、何よりの幸せです」

その言葉の通り、これまで多くの会員が、折々にこの『新・祈りのみち』を開き、あたかも高橋先生に対話していただいているように、その言葉に親しみ、心を立て直し、また勇気を持って事態に向かい合ってきました。本書を通して、どれほど癒やされ、支えられてきたか、わかりません。

その意味で、『新・祈りのみち』は、会員にとって、片時も手放すことのできない教典にほかなりません。

生命の余白に

「本然の諸相」「人間の諸相」「自律のことば」から成る『生命の余白に』について、高橋佳子先生は、「3つの智慧が預けられた書」と言われています。

すなわち、「本然の諸相」はこの世界のすべて、宇宙・自然を貫いている理(ことわり)について、「人間の諸相」はこの現象界で光と闇の相克を生きる人間の真実の姿について、そして「自律のことば」はその人間がどのような心で生きてゆけばよいかについて、まさに「神韻」を湛えた言魂の響きによって伝えています。

このうち、「自律のことば」は、もともと高橋先生ご自身が「このように生きて道を切り開く」という決意を表されたものです。

会員が日々、どのような心構えで自らの願いを生きていったらよいのか──。「自律のことば」は、まさに会員にとっての生きる指針です。

心行

GLAを創立された高橋信次先生が、会員のために最初に著されたのが、『心行』です。高橋信次先生は、その大意を次のように語られています。

「人は、どこからきて、どこへゆくのか。人間がこの世に生まれるということは、どんな意味があるのか。死とは何か。宇宙はどうしてできたか。魂があるとするならその意義を知りたい。心とは何か、神とはいかなるものか。こうした諸問題、つまり、宇宙と人間、人間の存在意義、心の実相を明らかにしたのが『心行』であります」

会員にとって変わらぬ教典の1つとなっているのが、この『心行』です。

創立から現在までの略史

1969年 GLA創立──高橋信次先生のもと、道を求める有志の方々の発心を出発点に

1968年7月12日、祖師高橋信次先生は、自らの著書『心の発見 現証篇』にも記されているように、幼少の頃から探求してきた「もう1人の自分(魂)」の存在に目覚め、宇宙を貫く法(神理)に到達されました。そして、高度経済成長期のただ中にあって、人々が物質的な豊かさを求めていたその当時、高橋信次先生は、心の時代の到来を訴えました。

その高橋信次先生のもとに集われた方々の中から、「ぜひもっと多くの人にこの教えを聴いていただきたい」との発心が生まれ、1969年4月8日、GLAは創立されました。会員1人ひとりの自発性と意志が尊重される今日のGLAの風土の原点は、すでにこの創立のときにあったのです。

その後、高橋信次先生は、多くの著書や講演活動を通して、1人でも多くの方の魂が目覚めることを願って全国を奔走されました。

1969年4月8日、東京・浅草の八起リバーサイドハイツ(八起ビル)において、GLAは誕生の産声を上げました。「もっと多くの方に高橋信次先生の教えを聴いていただきたい」という有志の方々の願いの輪は、この場から大きく広がってゆきました

人間は永遠の旅路を歩む魂の存在であることを証かした高橋信次先生は、私たちが大いなる存在、神仏によって生かされ、「自己の確立」と「世界の調和」のために生まれてきたこと訴え、全国を奔走されました

1976年 法の継承──高橋信次先生と高橋佳子先生の魂の所以(ゆえん)・魂の約束が明かされる

高橋信次先生は、高橋佳子先生と共に二人三脚で神理探求を続け、48歳が近づいてきた頃、かねてからの預言通り、自らの帰天の日が近いことをしばしば口にされるようになりました。そして、「青年の中から、法を継承する人が出てくるはずなのです」と切迫した口調で語りながら、それが誰なのかを問い続け、懸命に探されていました。

当時大学生だった高橋佳子先生も、「私も、頑張って探してみます」と言われていました。

この時点では、高橋信次先生にも、そして高橋佳子先生にも、法を継承されるのが高橋佳子先生であることが、まだ明かされていなかったのです。

そして、1976年3月──。高橋佳子先生の著作『天涙』にも記されているように、和歌山県で行われた白浜研修会で、高橋信次先生と高橋佳子先生は、ついに魂の邂逅を果たされます。

そのとき、高橋佳子先生が高橋信次先生の人生における1つ1つの出会いや出来事の意味を、魂の次元から明かしてゆかれるということが起こりました。高橋佳子先生によって語られた人生をくまどるそのまなざしは、やがて「魂の因果律」や「人天経綸図」(魂の学[人間と世界を貫く真理=神理の体系]の中核を成す神理)に結晶化してゆくまなざしそのものだったと言います。

高橋信次先生は、高橋佳子先生によって初めて開示されたそのまなざしこそ、GLAに託された使命である「自己の確立」と「世界の調和」が現実に成就してゆくための要であることを確信し、「これで人類は救われる!」とその歓びを周囲にも伝えてゆかれました。

この魂の邂逅によって、法の継承者が高橋佳子先生であることを確信した高橋信次先生は、その後の一切を高橋佳子先生に託されました。

と同時に、「私が実在界(あの世)に帰ったら、通信を送る相手は佳子だけです。そのことを忘れないでください」と周囲に告げ、いずれ高橋信次先生の名を騙って自説を説く人々が現れても、それに惑わされる必要はないことも伝えられました。

こうして祖師高橋信次先生は、1976年6月25日、48歳で、実在界(あの世)に帰天されたのです。

1976年〜 具現への新たなる一歩

高橋信次先生が実在界に旅立たれ、19歳で法の継承者として立った高橋佳子先生は、1976年7月10日、東京・青山葬儀所(青山斎場)で行われた「感謝と誓いの式」で、大いなる存在、神仏、そして実在界の高橋信次先生に向かって、その志を引き継いで必ず神の光が顕現した仏国土・ユートピアを具現してゆくことを誓願されました。

翌1977年、高橋佳子先生は、『真創世記』3部作を発刊するとともに、一瞬一瞬を本当に神理で生きることができるようになるための智慧やシステムを次々に示してゆかれました。

たとえば、問題解決などにあたり、まず「何のために」「願いは何か」と自らの心深くに問い、そのまなざしから現状を見とり、具体的な方策を立ててゆく「ウイズダム」。また、GLAにおける様々な活動を単なる奉仕活動にとどめず、神理の体験学習の機会としてゆく「プロジェクト活動」といった新しいシステムを立ち上げてゆかれたのです。

そのような展開の中で、「仏国土・ユートピアの建設」、すなわち神理に基づく新しい文明の創造に向かう実感が深まり、今に続く神理実践の風土が培われてゆきました。

それは、GLAが、高橋信次先生のもとで「人間は、誰もが神の子であり、永遠の生命を抱く魂の存在である」という確信を深める段階から、高橋佳子先生のもとで「では、どうしたら私たちは神の子として、永遠の魂として、今を生きることができるのか」を探求する段階に飛躍していったことを意味していました。

高橋信次先生に捧げる「感謝と誓いの式」には、約6,000名の参列者が訪れました。式の最後、高橋佳子先生は、高橋信次先生の御影を前に、『心行』の朗唱と「決意表明」をされ、その清冽な言魂は参列者の心深くに響いてゆきました(1976.7.10青山斎場)
高橋信次先生より法を継承した高橋佳子先生は、「GLA8周年記念大講演会」で講演されました。その力強い言魂は、参加された6,000もの方々の間に深い感動を呼び起こしました(1977.4.10日大講堂)

1980年〜 「三論」(基盤論・自業論・響働論)を説かれ、研鑽の基礎が築かれる

こうして高橋佳子先生は、めざすべき方向と願いを示しながら、人間が抱える闇の問題を直視し、真に永遠の生命として今を生きるための道を示し続けてゆかれました。

そして、先生は、「人間は永遠の時を生きる魂の存在でありながら、なぜその本来の姿を見失い、煩悩に呑まれてしまうのか。どうしたら1人ひとりが魂としての本質に目覚め、日々の一瞬一瞬を生きることができるのか──」と問い続け、その深い探求の日々の中から、その道を「基盤論」「自業論」「響働論」に集約した神理の体系として開示されます(『人間の絆』)。

人間が魂としての本質を忘れ、宿命に呑まれてゆくからくりを明らかにした「基盤論」。そして、宿命に呑まれることにも実は深い意味があり、その闇の向こうに果たすべき使命があると、人生の意味と所以を明らかにされた「自業論」。

さらに、その1人ひとりが使命に応えて生きる中で世界を調和に導く「響働論」──。

また、人間と世界の究極の真実を伝え、生きる指針となる『生命の余白に』(1982年)とともに、いつも会員1人ひとりの傍らにいて対話・同伴したいと願い、ご自身の代わりになるようにと『祈りのみち』(1985年)を著すなど、現在のGLAの信仰の糧となっている著書も著してゆかれました。

さらに、神理を実際に生きてゆく道として古来より伝えられてきた八正道の本当の意味を現代に蘇らせた『人間のまなざし』(全8巻)をはじめとする神理の著作群など、様々な学びの手がかりと場を用意してゆかれました。

それに伴い、この時期、全国各地に、会員の研鑽の拠点となる地方本部も次々に整備されていったのです。

「見渡す限り果てしなく広がる暗黒の草原。そのいずこにあの小さくとも美しき花の咲き乱れしか……」という先生のナレーションで始まったこのセミナーは、人間の闇を徹底して見とる歩み(基盤論)に向かう始まりのときとなりました(1980.5.3〜5スプリングセミナー、箱根小涌園)

1993年〜 師と弟子の「信と応え」の深まり

1993年以降、GLAは、大切な節目を迎えます。それは、大いなる存在・神の御心を受けた高橋佳子先生が、弟子(私たち会員)の魂を信じて神理を開示されると、それに応えて、弟子が神理の実践に励む。その歩みの深まりに応じて、先生はさらに新たな道行きを示してゆかれる――。そのような師と弟子の「信と応え」の歩みが深まり、新しい次元へと向かう時を迎えていたのです。

また、この時期を境に、先生は、以前にも増して、全国各地に「魂の巡礼」に赴くようになります(「魂の巡礼」とは、道を求めた先人や会員に関わりのある魂の足跡を辿るもの。その歩みの一端は、先生の著書『天地有情』『天涙』『天の響 地の物語』などに掲載)。

そこでは会員1人ひとりに深い癒やしと再生が起こり、「神の存在と永遠の生命の実感」がさらに深まってゆきました。

1994年〜 弟子の立志=ボーディ・サットヴァ宣言

翌1994年、GLA創立25周年にあたる「善友の集い」(創立記念日にちなんで、毎年4月に開催)において、前年来の新たな流れは、さらに新たな局面を迎えます。

高橋佳子先生は、この日の講演の最後に、会員1人ひとりがGLAの願いを体現して「他人(ひと)の苦しみわが苦しみ、他人の喜びわが喜び」の心を生き連ね、古来、「ボーディ・サットヴァ」(菩薩)と呼ばれてきた求道者・伝道者へと成りゆくことができるように──と、「菩薩の祈り」を捧げられました。

そのとき、会場にいた会員は魂が震えるような感動に打たれ、「私もそのように生きたい!」という願いが心の深奥から噴き上がり、誰言うともなく会場の全員が立ち上がっていたのです。そして、全国各地で同じ現象が、次々に起こってゆきました。

先生は、その志の発露を弟子による「ボーディ・サットヴァ宣言」であったと大切に受けとめられました。そして、その志に応えようと、誰もが「ボーディ・サットヴァへの道」を歩めるように、「プロジェクト活動」をさらに深化させた新たな研鑽を始めてゆかれたのです。それが、「ニュープロジェクト」です(2001年より「ジェネシスプロジェクト研鑽」、さらに2007年には「グローバル・ジェネシスプロジェクト研鑽」となる)。

こうして、1993年、1994年を経て、師と弟子の信と応えの歩みを本当の意味で生きる時代が始まり、「ニュープロジェクト」を支柱として研鑽体系が再構築されてゆく中で、GLAでは、神理の実践者が飛躍的に増えてゆきました。

講演の最後、先生よりの「菩薩の祈り」を享け、「私も菩薩に成りゆきたい!」との志を表明するように、1人また1人と立ち上がっていった参加者。このうねりは、その後、各地の「善友の集い」に広がってゆきました(1994.4.16善友の集い、川崎市教育文化会館)

2001年〜 ジェネシスプロジェクト宣言、「魂の因果律」の開示、GLA会員憲章の採択・宣言

2001年1月1日、新世紀開闢のそのとき、高橋佳子先生は、これからの会員1人ひとりの歩みを、新たな時代・世界を創世してゆく「ジェネシスプロジェクト」であると宣言されます(「ジェネシス」とは、「すべての始まり」「創世」の意)。

そして、2003年12月の「感謝の集い」(1年を振り返り、神理によって頂いた恩恵と功徳を思い起こし、大いなる存在に感謝を捧げる集い)において、これまで説かれた神理の集大成とも言える「魂の因果律」を開示されました。

そうした歩みの中で迎えた「2004善友の集い」──。「ボーディ・サットヴァ宣言」から10年目にあたるこの日、会員の願いと信条が「GLA会員憲章」として採択・宣言され、すべての会員が共に新たなスタートラインに立ち、共に「菩薩への道」を歩んでゆくことを誓い合いました。

そして、現在も高橋佳子先生は、「魂の因果律」の奥義をさらに深く説き続け、誰もが魂の願いを日々の生活の中で生きることができるように、「菩提心発掘の道」を開かれています。

1人ひとりが「煩悩」を滅し、心に「菩提心」(本当の自らを求め、他を愛し、世界の調和に貢献する心)を満たして歩むとき、周辺にあふれる諸問題を解決し、新たな現実を創造することができる。そして1人ひとりがこの人生で果たすべき使命が明かされる──。

「菩提心」が放つ光によって、現実を変革する神理実践の歩みを、今、多くの会員が確かに歩み始めているのです。

GLAは、この菩提心をもって、時代とともに、地域とともに、そして人々と共に歩んでゆきたいと願っています。

講演の最後、先生と共に「12の菩提心」の言葉を参加者全員で唱和し、内なる「菩提心発掘」を誓う、「1万人の菩提心発掘宣言」が行われました(2006.12.3感謝の集い、横浜アリーナ)

2008年~ 「観力・浄力・発力・結力」──「菩薩必携の四力」を生きる

「魂の因果律」や「12の菩提心」という神理が開示されたことによる会員の神理実践の深まり――。2007年、高橋佳子先生は、その歩みに応えるように、全国一斉展開の「グローバル・ジェネシスプロジェクト研鑽」やGLAにおける絆形成の最前線の場──新しい「生活実践」をスタートされました。

そして、翌2008年、先生は、「魂の因果律」の実践における新たなステージを開示されたのです。

それは、自ら自身を見つめる「観力」、自らの内なる闇を浄化する「浄力」、新しい自分を生み出す「発力」、そして私たちと魂の願いを結びつける「結力」という、後に「菩薩必携の四力」と呼ばれるまなざしでした。

さらに、GLA創立40周年の節目となる2009年には、「菩薩必携の四力」を生きる具体的な第1段階として、「Charge(チャージ)・Change(チェンジ)・Challenge(チャレンジ)のシート」を開示し、「試練は呼びかけ」を生きることや「因縁果報ウイズダム」を生きるという、これまでの会員の歩みは、さらなる深化へと向かっていったのです。

2010年~ 「魂主義」の時代を開く

高橋佳子先生より、「菩薩必携の四力」を育むことで、「ユニバース体験」(瞬間的に人生の目的を悟り、世界の全体、宇宙と自分のつながり、神との絆を知ってしまう体験)を起こし、「魂の発見」に導かれる中、2011年、東日本大震災が起こります。先生は、その未曾有の試練からの呼びかけを深く受けとめ、東北再生、そして日本再生への道を、「魂主義」という新たな生き方とともに開いてゆかれました。

1人ひとりが「人生の仕事」(ミッションワーク)を見つけ、「果報側」から「因縁側」へと転換し、日々、自己ベストを生きる歩み──その実践の輪がGLAから日本へと広がってゆく「1億総自己ベストの時代」の到来を告げられたのです。

そして、事態を「カオス」(光と闇、可能性と制約を秘めた混沌)と捉え、心(受発色)の転換によって、「光転の現実」を生み出し、「運命の逆転」を果たしてゆく鮮やかな実践が、GLA全体に広がってゆきました。

そのような歩みの中で、先生は2017年、人と天の約束──2000年に開示された「人天経綸図」が時を経て深められてきたことを告げ、新たな「人天経綸図」を開示されました。

その神理のもと、今、私たちは、人生の「青写真」にアクセスし、人生の「マキシマ」(人生を最高の次元に飛翔させる力)を引き出して、「最高の人生」に向かって歩んでいるのです。