#
# #
# LANG

時の羅針盤・174

時の羅針盤・174

世界とつながる

高橋佳子


私たちと事態は1つ

今月も「カオス」のまなざしについて、考えてみたいと思います。

「カオス発想術」は、私たちが日々向かい合っている様々な出会いや出来事を、「カオス」として受けとめてみようというだけのものではありません。

「カオス」のまなざしには、事態をエネルギーで捉えるエネルギー発想法を含め、「魂の学」(*1)の世界観が一体化されて込められているのです。

例えば、事態を「カオス」と捉えるとき、その事態は私たちと切り離されたものではなく、つながったものになります。「カオス」の次の状態は、「カオス」自体のエネルギーと私たち自身がそこに込めるエネルギーが結びついて決まってきます。

ただ眺めているときは、自分と事態は別々のものにしか思えなくても、「カオス」と受けとめた途端、私たちは事態を自分と1つに結びついたものとして捉えるようになるのです。私たちが、今、向かい合っているその事態に深く関わっているということです。

世界とつながる

私たちと世界の関係──。あなたは、あなたの周囲に広がる世界をどのように捉えているでしょうか。今、世界は大きな変動の時代を迎えていることを、これまでお伝えしてきました。

しかしまた、その一方で、それだけ変動する世界の中にありながら、私たちが世界に対して抱いているのは、「動かない世界」というものではないでしょうか。

世界は堅固に組み上げられ、すでにできあがっているもの。確固とした城塞のように、そこにそびえ立っている。その世界に私たちがどうはたらきかけようが、びくともしない──。

これから社会に出る学生の皆さんや、社会人になったばかりの皆さんは、そのことを痛感されているかもしれません。社会のインフラは整備され、経済活動も高度に集積され、組織も十分成熟している。もうすでに世界は完成された状態にあって、私たちはそれに適応するだけ……。そこに入り込もうとしても、わずかな隙もなく、跳ね返されてしまう。

私たちは、世界から切り離された無力な存在でしかない──。

しかし、「カオス」というまなざしを向けたとき、私たちは、あらゆる事態と1つにつながることができます。どんなに固く私たちを拒絶しているように見える世界であっても、それは「カオス」──。

私たちと一緒になって変化し得る状態──。十分柔らかく、可塑性のあるものなのです。

「青写真」から出発できる

「『魂の学』序説110」(月刊『G.』2018年2月号)の中で触れたように、私たちのものごとに対する考え方は、過去の経緯を土台とするものです。「原因と結果の法則」が、「原因があって結果がある」と示すように、「過去があって現在があり、現在があって未来がある」と考えるのです。

ものごとに向き合うとき、私たちはごく普通に、過去思考に陥ってしまいます。過去のいきさつに縛られ、過去を繰り返す──。問題点を意識化していない限り、過去のやり方を踏襲してしまうのです。慣性力がはたらくことも、習慣力に助けられることも、言葉を換えるなら、過去の延長とも言えます。

私たちが日々を生きることにおいて、いかに過去の比重が大きいか、それを否定することは困難です。

その中で、事態を「カオス」と見るとき、何が起こるのでしょうか。私たちは、その瞬間、過去からの重力を振り切って、未来からの発想を持てるようになります。未来に所属する「青写真」(*2)から今を見ることができるのです。

いかなる過去の経緯や慣性力に引きずられることなく、その「カオス」が本来的に現そうとする「青写真」から出発することができるのです。それは、何と自由で、智慧深い力でしょうか。

2018.8.27

〈編集部註〉

*1 魂の学

人生を魂の次元から捉えるまなざしであり、人間の魂と世界を貫く真理=神理の体系のことを言います。形のある、目に見える世界を対象にしてきた「現象の学」に対して、形のない、見えない世界も含めた全体を扱います。
(著書『あなたが生まれてきた理由』13〜14ページより一部抜粋・要約)

*2 青写真

どんなものにも青写真がある──。何かを実現しようとするとき、私たちはまず、そこには本来あるべき姿──青写真があることを思い出さなければなりません。そしてそれは、あらゆる場合に、求めるべき解答があり、そこにアクセス可能であるということを意味しています。言葉を換えるなら、どんな事態にも最善の道が必ずあるということです。
(著書『魂主義という生き方』147〜150ページより一部抜粋・要約)