時の羅針盤・173
時の羅針盤・173
未来を探す
高橋佳子
定番の生き方
私たち人間が生まれ育ちのまま身につける、もっともポピュラーな生き方──。それは、ものごとにレッテルを貼って、それを良し悪しに分けることを土台にした生き方です。
これはいいこと、これは悪いこと。これは成功、これは失敗。これは価値があること、これは意味のないこと……。そして、自分にとって得になるもの、価値のあるものを引き寄せ、得にならないもの、価値のないものを遠ざける。
それを続けながら、それぞれの目的・目標に到達するための取り組みをルーチン(決まった仕事)化して、熟達してゆく──。
私たち人間が社会の中で繰り返してきた生き方が、そこにあります。例えば、世の中で「できる人」と呼ばれている人は、多くの場合、レッテル貼りが得意で、目的に合ったルーチンの生き方に熟達しているのではないでしょうか。
確かにそれは、1つの智慧の蓄積であり、境地の獲得の形と言えます。
受験勉強でも、人間関係でも、仕事でも、レッテル貼りとルーチン熟達の生き方が浸透しています。
多くの職業においても、例えば、営業マンも、技術者も、編集者も、お店で商売をしている人も、経営者も、学校の先生も、皆、レッテル貼りとルーチンの熟達をそれと気づくことなく、どれほど踏襲しているでしょうか。
カオスから始まる生き方
しかし、それとは、まったく異なる生き方があります。
もし、私たちがあらゆる事態、出会いと出来事を、まだ形も輪郭もなく、結果も出ていない「カオス」と受けとめるなら、どうでしょう。
「これはいいこと、悪いこと。これは成功、失敗……」とレッテルを貼らない。
目の前にしている事態がいったいどういうものであるのか、「決まっていない、わからない」というところから出発する。
先入観や偏見、常識を横に置いて、「これはいったいどういうことなのか。ここで呼びかけられていることは何だろう。この事態をどう受けとめればいいのだろうか」と、まっさらな目で最初から問い直す。
私たちの前にやってくる事態は、まだ形も輪郭もなく、結果も出ていない「カオス」──。
「これはこういうもの」というレッテルを貼るだけでは済まさず、今まで数え切れないほど繰り返してきた仕事のルーチン自体を問い直す。
「このやり方でよいのか」
「本当に求められているのはどういうことか」
それは、たやすい生き方とは違います。そして、そこにあるものを最大限、畏敬する生き方にほかなりません。
未来はどこにあるのか──源に遡れ
そうやって、あらゆる事態を「カオス」と受けとめる生き方にこそ、私は、本当の未来を探す力があると思っています。
未来とは、どこにあるのでしょうか。
多くの人は、「この先はどうなってゆくのか。どんな現実が生まれてゆくのか」と、今、起こっている変化を基に未来を考えます。
私たちにとって、経験したことは、最大の手がかりです。過去があって、現在があり、そして未来がある……。確かに、未来は、過去から現在に流れてきた時の流れの向こうにある。過去でもなく、現在でもない──。
でも、本当の未来──私たちが探すべき未来は、過去からの延長線上にあるわけではありません。過去から現在に至る流れに乗っていれば、その未来にたどり着くわけではありません。
未来は──。常に、源にあるのです。
より本質的な次元に、大本の真実に、常識や通念のベールを何枚もはがした未踏の領域に、それは息づくものです。
あらゆる事態を「カオス」と受けとめる生き方には、その源に遡る力があります。中心に迫ってゆく力があるのです。
2018.7.27