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両親の介護で精神的にも肉体的にもボロボロです

昨年、舅が突然倒れ、他界して以来、姑と一緒に暮らし始めたのですが、ある日気がつくと、認知症の症状が見られるのです。夫が長男なので、いずれ同居することもあるかもしれないとは覚悟していましたが、できれば避けたかったのも本音です。それが、まさか認知症の姑の介護をすることにまでなろうとは思いも寄りませんでした。しかも子どもが独立した今、私1人で姑の世話をしなければならず、このままでは私の方がまいってしまいそうです。

51歳女性・主婦

「ねばならない」という想いを離れ、相手の人生を知り、理解することから始める。次に、これまでの相手との関わりを振り返ってみる

高橋佳子先生
『いま一番解決したいこと』より一部抜粋・要約

お子さんは独立なさっているとのことですから、ご主人がお勤めの時間は、お姑さんと2人きりで顔をつき合わせることになるわけですね。ましてや、お姑さんの認知症が進んでいらっしゃるということですから、会話1つにしても、心を通わすものとはならない上に、食事から洗濯、あらゆる身の周りのお世話と、その1つ1つがどんなに大変なことでしょうか。そんな毎日がいつまで続くともわからないまま繰り返されるわけですから、くじけそうになるのは無理もないことです。

しかし、ここで知っていただきたいことがあります。どんな試練であっても、意味のない試練はなく、その中に必ず呼びかけが届いているという人生の真実です。


そして、できればお姑さんとの同居を避けたかったあなたにこの困惑の事態が訪れたこと、そこには必ず大切な呼びかけが届いており、深い意味が孕(はら)まれていることを信じていただきたいのです。一体どのような呼びかけであり、意味なのか――その答えはあなたの心の中に隠されています。


確かに大変な事態ではあっても、お姑さんのお世話というこの試練の中にどんな呼びかけが届いているのか聴いてみようという気持ちが整ったなら、次の2つのことに取り組んでみてはいかがでしょうか。まず1つ目は、お姑さんの人生をよく知り、理解してみようということ。2つ目は、これまでの歳月の中でのお姑さんとの関わりを思い出し、振り返ってみるということです。

「良い嫁として、お姑さんを大切にしなければ」と心に言い聞かせても、どうしても好きになれない人を大切にすることはできないでしょう。短い期間我慢することはできても、長くは続きません。「ねばならない」という心では、大切にすることが義務になって、やがてどこかに無理が生じてしまうでしょう。かと言って好きになれないからと、感情の赴くままに邪険に当たったり、放置するのもやがて必ず後悔することになります。

お姑さんの人生も、あなたの人生も本当に大切にされる道を探そうとするなら、まず何よりも、あなたの内にお姑さんに対する愛を育むことです。それも無理やりにではなく、自然に湧き上がるようにするには、お姑さんの人生を深く理解することから始めることでしょう。ご本人と会話が成り立たない状況なら、ご主人をはじめとして、お姑さんのことをよくご存じの方から、お姑さんの生い立ちや人生の条件を伺ったり、好き嫌いや、価値観など、お姑さんの人柄や心の内が理解できるようなお話を伺うことも1つの方法でしょう。

考えてみるならば、まったくの他人同士の2人が結婚をきっかけに嫁と姑という関係を結び、同じ屋根の下に生活するということは本当に不思議なことです。ご縁としか言いようのない関わりです。人生の中で血のつながりもなく、このような深い関わりを結ぶ人は、数えるほどしかないでしょう。その運命の不思議を心に置いて、お姑さんへの理解を深めてゆかれることだと思うのです。

それと同時に、2つ目として挙げた、あなたご自身とお姑さんとの関わりを振り返るという取り組みを進めてみてはいかがでしょうか。誰よりもお姑さんと接する時間が長いあなただからこそ、できることの1つだと思うのです。


最近は、公的な介護サービスも充実し始めています。具体的な介護の体制は、ぜひ専門家の方に相談されることをお勧めします。状況によっては、つぶれそうになるまで1人で背負うのでなく、介護サービスをお願いすることが必要なこともあるでしょう。

何よりも、あなたが、実の息子であるご主人以上に、お姑さんとの出会いに恵まれているという現実の中に、深い人生の意味を見出すことができ、介護という苦労の多い厳しい営みを通して、新しい人生が始まることを祈っています。

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