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担任をしているクラスが混乱し、教員としてなす術が見出せず途方に暮れています

念願叶って中学校の教員となり、クラス担任も任されました。しかし、制服の違反やいじめ、不登校などが後を絶たず、授業中も私語が飛び交い、席を立ち教室を出ていってしまう生徒も現れ、混乱状態に陥ってしまいました。教頭からは「あなたを学級担任にしたのは失敗でした」と言われ、自分でも「本当は教師には向いていないのではないか」と悩み始めています。

23歳男性・中学校教諭

「必ず最善の道はある」ことを心に置いて、「私が変わります」という心構えで、自らの想いと行いを変えてゆくことを第一歩に

高橋佳子先生
『いま一番解決したいこと』より一部抜粋・要約

希望に胸を膨らませて教壇に立ったあなただけに、担当クラスが混乱した衝撃は言葉に表せないほどのものがあったことでしょう。根本的な解決がつかず、混乱状態が続いていれば、心も重くなる一方ではないでしょうか。


しかし、ここで落ち着いて、事態を受けとめていただきたいのです。そしてそのとき、心の中心に置いていただきたいことがあります。

それは、「必ず、最善を導く道はある」ということです。 もともとのあなたの願いを思い出してください。あなたはなぜ、教職という仕事を選ばれたのでしょう。その仕事を選ぶことをいつ決心されたのでしょうか。それには、何か特別な思い入れがあったのではないでしょうか。 あなたの中に今もなお、子どもたちに対する愛情があり、そして教師を辞めるほどの覚悟があるのなら、あなたにはまだ今ここですべきことがあります。今からできることがあります。クラスの生徒たちに対して、本心から向かい合うこともできるでしょう。自分自身の教育にかける想い、1人ひとりへの想いを、真っすぐに伝えることもできるでしょう。


昨日と同じように今日を生き、今日と同じように明日を生きるならば、何年待っても結果は変わらないかもしれません。しかし、日々学校で体験する出会いや出来事に対して、「私が変わります」との心構えで、自らの想いと行いを常に新たにしてゆく志があるならば、まだ、結論を出すのは早過ぎます。

自分のできることをまずやってみる。やり尽くしてみる。辞めることを考えるのは、それからでも十分間に合うはずです。


あなたがこの試練に応え、最善を導く一すじの道を辿ってゆく唯一の入り口――。それは、「私が変わります」という心構えで、自らの想いと行いの変革に向かうことです。私たちが主導権を持っているのは、自らの想いと行いにおいてだけであり、それ以外のものを直接変えることは基本的には不可能だからです。 つまり、「学級の混乱を転換したい。授業中の私語をやめさせたい」と考えても思考は空回りするだけなのです。主導権の外を変えようとしているからです。 しかし、「どのような授業を、どのように進めてゆけば、授業を聞いてくれる生徒が増えてゆくだろうか」ということは主導権の中にあるテーマです。そのための具体的な方法について、体験談に学んだりすることも大切かもしれません。けれどもまず、同僚であり先輩である先生方にアドバイスを求めることが大きな力になるのではないでしょうか。そして、そうすること自体が、すでにあなたにとっての「私が変わります」となるように思うのです。


最後に、1人の男性教師の歩みを、ご紹介したいと思います。その方はかつて、今のあなたと同様に学級崩壊の危機に見舞われました。どうにもならない現実に一時はかなり落ち込み、あきらめかけていたのですが、この方にとって大きな転換点となったのは、主導権の外ばかり変えようとして、肝心の自分自身をまったく変えようとしていないことにはたと気づいたことでした。 自らの想いと行いを変革するしかないと知ったその方は、まず、小著『新・祈りのみち』にある「縁友への祈り」で、毎朝、学級の生徒1人ひとりの名前を呼んで祈りの時を持たれました。「○○さん。あなたに巡り合えたことを何よりも歓びとして祈ります。わたくしたちの友情を導いてください。わたくしたちは共に互いに心から語り合い、助け合い、尊敬し合います。絶えず、より深い一致に心を向けてゆきます。わが友に光を与えてください。わが友がいかなる時と場にあろうと変わることなく真(まこと)を求め、まごころを尽くして歩み続けることができるように支えてください」――。心に重心をつくり、これまでの関わりの経緯を超えて、まさにこの祈り心のままに毎日新たな想いで生徒と出会う中で、関わりが変化してゆきました。

あなたの心の中心にはっきりと願いの重心を定め、具体的に生徒たちに関わってゆけば、そのような未来につながる道が必ず開けることを信じてください。

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