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自殺した人の魂は、救われないのでしょうか?

10数年前に姉が自殺をしました。姉とはとても仲が良かった反面、姉妹同士の比較の想いもあり、どちらかと言えば私の方が周囲から認められてきたということもあって、私が姉を苦しめ、自殺に追い込んだのではないかとさえ思ってきました。そう思うと、今でもいたたまれない想いに襲われます。自殺した魂は迷い続けると聞いたことがありますが、姉の魂は、本当に救われないのでしょうか。

53歳女性・主婦

自殺した魂にも、必ず救われる道が用意されています

高橋佳子先生
『いま一番解決したいこと』より一部抜粋・要約

仲が良かったお姉さんが自殺をして亡くなられたこと。それはあなたにとって、どれほどショックだったことでしょう。喪失の悲しみとともに、あなたご自身がお姉さんに対する罪の意識に苛(さいな)まれてきたこと、10数年の歳月が経った今でも、いたたまれない想いを抱かれていることからも、その悲しみとつらさの深さが窺(うかが)われます。

ご質問としては2つのことがありますね。1つはご自身の罪の意識について。もう1つは、お姉さんの魂が救われているのかどうかということ。もちろん2つのことはつながっているわけですが、まず、あなたの罪の意識について見つめてみましょう。

深い関わりのあった方が自殺して亡くなってしまった場合、ほとんどの方が自分がその原因ではないかと、罪の意識に苛まれます。まったく罪などないはずの幼い子どもでも、自分が父親の言うことをきかなかったからではないかとか、自分が母親にこの間ひどい言葉をぶつけてしまったからではないかなどと、自分にその原因を見ようとする場合が少なくはありません。自殺した方の周囲の方は、多くがその死の原因の一端は自分にあったのではないかと思うということです。

あなたの場合、お2人が比較されて育ち、どちらかと言えばあなたの方が優勢であったとのことですから、なお一層罪の意識は強いものとならざるを得なかったのでしょう。

しかし、ここでぜひ、大切にしていただきたいことがあります。それは、「1つの身体には1つの魂」ということ。つまりお姉さんのテーマとあなたのテーマは同じではない、ということです。それはどのようなことかと言えば、確かに人は、生まれてからご両親や家族の関わり、地域や時代社会から引き受けた3つの「ち」(血=家族から流れ込む価値観、地=地域・業界から流れ込む価値観、知=時代から流れ込む価値観)の影響を受けてその人となってゆく存在ですが、実はもう1つ、生まれる以前に、魂が前世から引き受けてきたその方固有のテーマを抱いた存在でもあるのです。そのテーマは、お姉さん自身が永遠の生命として抱いてきたテーマであり、お姉さんとして引き受けなければならないことなのです。

つまり、妹として生まれたあなたがお姉さんの人生を横切り、影響を与えたことも確かですが、あなたには踏み込むことも、背負うこともできない魂の領域を彼女が抱いていたことも間違いありません。それが「1つの身体には1つの魂」という定めなのです。人は皆そのように、永遠の生命としての願いとテーマを抱いて、様々な試練があることも承知で生まれてきました。そしてそこに、人間としての尊厳があると私は思います。

お姉さんもその尊厳を抱く魂です。あなたとの比較によって苦しまれたことがあったとしても、同じ状況に置かれた人が皆同じ行動に至るわけではないことからもわかるように、お姉さん自身が抱えておられたテーマがあったということです。そのテーマをあなたが背負うことは叶わないのです。自らの人生を振り返り、お姉さんとの間で生じた出来事や想いを見つめることは意義あることだと思いますが、必要以上に自分を苛むべきではありません。

そしてお姉さんは、たとえ自ら命を絶ったとしても、それですべてが終わったわけではありません。今も、魂が前世から引き受けてきたテーマを超えようとしている道中にあり、その道行きはこれからもずっと終わることなく続くということです。人は、自ら自身がそのテーマを超えるための智慧と力を持っている――。そのお姉さんの魂に想いを馳せ、心からの愛念を持って祈ってさし上げることをまず大切にしていただきたいのです。


もう1つ、「自殺した姉の魂は救われないのでしょうか」という質問ですが、これは身内を自殺で失くされた方にとって、切実な疑問でしょう。私はこれまでに、自らの命を絶った何人もの魂の行く末を見守らせていただきましたが、確かに自殺した魂が背負う重圧は、生きているとき以上に重くのしかかるのも本当です。自殺した魂に意識を合わせてゆくと、心がどんどん重くなってゆきます。地上で日頃感ずる何十倍もの重力が一気に働いて、大変な力で地の底に引っ張られ、引きずり込まれるような感覚です。

なぜそうなるのかといえば、「自殺する」ということは、指導原理(宇宙に遍[あまね]く存在し、一切の存在を生かし、宇宙の意志と1つに響き合う方向へと導き続けている原理)に反することだからです。人は誰も、果たすべき魂願(魂の願い)と、超えるべきカルマ(魂の歪[ゆが]み)を抱いて、自ら望んでこの世界に生まれてきます。命を与えられ、多くの関わりを与えられて、いわば修行のフィールドとしての人生を始めるわけです。魂の中には、魂願成就・カルマ超克の青写真が遺伝子のように組み込まれているのです。にもかかわらず、人生の途上で様々な試練に出会い、その試練に耐え切れなくなって、自らの命を絶ってしまうというのは、人間の魂に埋め込まれたその遺伝子に背くことになります。指導原理に従えば道は開き、調和に導かれますが、指導原理に逆らえば、そこには不協和音が生じ、道が閉ざされ、不調和な状態へと自らを追い込んでしまうわけです。

でも、だからと言って、救いがないかというと、決してそうではありません。大切なのはその後です。その魂が、本当にその状態から脱したいと願えば、魂を指導原理に導く力がはたらき、どこまでも落ちてゆこうとする魂を、それ以上落ちることがないように支えます。しかし、一気に自由になるわけではありません。なぜなら、そのように落ちるには落ちる理由があるからです。自らそう人生を選択し、選んだ結果である以上、その魂が自らの過ちに気づかなければ、その状態から脱することはできないのが約束です。人間はそれだけ魂の尊厳を抱いた存在であるということです。

ただ、そのまま地の底に落ちてゆけば、自分自身ではなかなか目覚めることができない条件に置かれ、いつまで経っても覚めることのない悪い夢をずっと見続けているような厳しい状態が続くことになります。ですから、その魂に関わりを持った人々が「縁」としてはたらきかけることが大切になるのです。


生きている私たち、とりわけその魂とご縁の深かった親族や親友の念は、必ず亡くなった魂に通じます。特にお姉さんが3つの「ち」の影響を受け、宿命として背負ったもの、それは、同じ環境に生まれたあなた自身が背負っているものと通じるものであり、生きているあなた自身が、その宿命から自由になってゆく歩みが、どれほどお姉さんの魂にとって励みになることか、それは計り知れないものがあります。

やはり姉を自殺で失くされたある女性は、あなたとまったく同じように、初めは「自分のせいでこうなってしまった」とずっと自分を責め続けていました。でも、まだ自分にもできることがあると気づかれ、まず自分自身の心を見つめるところから始められました。そして、自分の中に、他人との比較や周りのまなざしに一喜一憂し、「どうせ自分は駄目。駄目な自分を世間は決して認めてくれない」といった自己不信・他者不信の心があることを発見してゆかれます。さらに、同じ心の傾向が自殺した姉の中にもあったのではないかと思い至ったのです。そして、「自分がその心から解放されてゆくことこそが姉を救うことになる――」、そう思われてから、姉に対する気持ちがすっかり変わり、姉の魂をいつも身近に感じ、励まし合っているような絆を感じることができるようになったと言われます。

もしそうした目覚めや気づきが、あなた自身の中に起こったならどうでしょうか。あの世(実在界)からは、そのようにハッと気づいたあなたの心から発せられる眩(まばゆ)いほどの光が見えます。ご縁の深かったお姉さんの魂に必ず届くということです。そしてそのあなたの姿を見ながら、彼女もあなたと一緒に、自分の人生を見つめ直すことかができるのです。あなたの生きる姿こそ、まさにお姉さんにとって希望の光となるのです。

ですから、お姉さんの魂に話しかけてさし上げてください。お姉さんが生きてそこに座っているように、あなたが気づいたこと、あなたが感じた人生の喜びを語ってさし上げるのです。そして、魂に光が注がれるように、心から祈ってください。あなたとお姉さんとは、きっとご縁の深い魂なのでしょう。あなたの愛念は、必ずお姉さんに通じ、そのあなたの光を頼りに、光に満ちた明るい世界に還ってゆくことができます。それこそが、「真の供養」 ということでもあるのです。

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