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【日々の疑問】なぜか不幸が続くのですが、「それは祟りのせい」とある方から言われてショックを受けています

祖父や従兄弟をはじめ、私の家系には自殺をしたり、変死を遂げる人が多くいます。両親も昔から喧嘩が絶えず、父の女性関係に悩んだ母は、自殺未遂をきっかけに寝たきりになり、父を恨んだまま亡くなりました。母の愚痴を小さいときから聞かされて育った私も、病弱で、特に50歳を過ぎてから大病を2度患いました。なぜこれほど不幸を背負わなければならないのかと、先日、行者(ぎょうじゃ)の方に相談すると、「それは先祖の祟(たた)りのせい」と言われました。子どもの代までこの災いが及ぶのかと思うと、ショックで、夜も眠れません。

63歳女性・主婦

平常心を保ち、心を常に大いなる存在の側に保てば、祟りを受けることはありません

高橋佳子先生
『いま一番解決したいこと』より一部抜粋・要約

あなたのこれまでの人生は、つらく悲しい理不尽と思えるようなことばかりが続きましたね。生き地獄と言ってもおかしくない厳しさに耐えてこられたこと、本当に大変だったと思います。

なぜ私だけが、これほどの不幸を背負わなければならないのか――。

何も悪いことはしていないのに、なぜここまで人生を歪められ、苦しめられなければいけないのか――。

納得できる答えを探し求めて、行者さんのところまで出向いた結果が、「先祖の祟り」――。一族が皆、祟りの呪縛(じゅばく)から自由になれないとするならば、もう「神も仏もあるものか!」と、天を仰ぎ、あなたは訴えずにはいられなかったのではないでしょうか。お母様の死も、呪われた非業(ひごう)の死のように、あなたの心には映っているのでしょう。そしていつかは自分も……と、悲観的な想いに心が捕らえられているかもしれません。

確かにもしそれが事実ならば、そう思われるのも仕方のないことかもしれません。しかし、あなたの家族や一族に起こった不幸がすべて祟りによるものであるなどということは決してあり得ないことです。まず、この点だけは、確固たるお気持ちで受けとめていただきたいと思うのです。

1つ1つの出来事や現実は、それぞれに道すじがあり、条件や理由があって生じたことです。そこには多くの人たちの人間性や心のあり方も大きく関わっていたはずです。それを祟りという1つの原因に帰(き)してしまうのは、あまりにも強引で単純過ぎる考え方だと言わなければなりません。あなた自身も、すべてが祟りによるものだという、その見解に納得できないものがあったから、こうして質問をされているのでしょう。

確かに現象としては、祟りなどの霊的な障害を考えざるを得ない場合もあります。けれども、その場合でも、それが現実に現れるかどうかは、常に私たち自身の側の問題なのです。

私たち自身が平常心を保ち、心が常に調和され、大いなる存在の側にあれば、そのような力の影響を受けることは決してないからです。端的に言うならば、いわゆる霊的な障害は外的要因だけによって起こるものではなく、私たち自身の混乱や恐怖心によってもたらされるものだということです。ぜひ、そのことを心に念じてください。


人が生きること――。当たり前に思えることでも、それが容易なことではないことをすでにあなたは痛感されているでしょう。1人で背負うには重過ぎる人生の条件を与えられたその人が直面する困難がどれほどのものなのか、それは筆舌に尽くし難いものです。

しかし、今あなたにとって必要なのは、たとえどのような人生の条件――宿命を引き受けたとしても、人生を輝かせる力があなた自身の中にあることを信じることです。そしてそのために、まずあなたが引き受けた宿命、あなたがそのような家系の中に生まれた意味を尋ねることではないかと思うのです。

今、あなたが背負っている人生に対する重苦しい閉塞感(へいそくかん)、その不自由さはあなた1人のものではありません。あなたのお母様も、ご先祖の方々も同じように感じていたものでしょう。お母様をはじめとするご先祖の魂が、人生かけてその痛みを背負い続け、そこからどうしたら救われるのかと、生前も、そしてあの世に旅立った今も切々と訴え続け、答えを求め続けていることに、何よりも想いを馳せていただきたいのです。

あなたにとって1番近しい存在だったお母様との出会いを思い出してください。確かにあなたがおっしゃるように、その人生は、ただ苦労するために生まれてきたとしか言いようがないつらく切ない人生だったかもしれません。でも、そんなつらい人生の中でもあなたが生まれてきてくれたことによって、どれほどお母様は心が癒(い)やされたでしょうか。あなたの無垢な笑顔を見るたびに、絶望に呑(の)み込まれそうな人生の重荷をもう1度引き受けてゆこう、乗り越えてゆこうと何度励まされたことでしょう。

幼い日のお母様との思い出の数々。そこにはたとえささやかではあっても、小さな幸せに満たされた瞬間瞬間があったはずです。そのときのお母様の優しい笑顔、あなたに注がれた愛情を深い感謝とともに受けとめてさしあげましょう。そして人間の中にはそんな穏やかで優しい心がありながら、与えられた人生の条件ゆえに、修羅のように人を恨み、呪わずにはいられなくなる悲しさ、痛ましさに心からの光を送っていただきたいのです。

大切なことは、ご両親をはじめとして累々(るいるい)と連なるご先祖の魂の悲しみの中にあっても、愛されてきたからこそ、あなたはこの世界に生まれることができたという事実です。

もちろん、あなたの心の中には、そのご先祖の方々が人間として生きている間に抱えた人生に対する疑問や超えられなかったテーマやこだわり、とらわれの一切が流れ込んでいることも本当です。

それは、あなたが身に引き受けざるを得なかった「宿命の呪縛」とも言えますが、別の見方をすれば、ご先祖の魂とあなたとの絆の証であり、今、生きているあなたに、そうしたテーマやとらわれを超えてほしいという希望が託されているということです。そこから流れ込んだ因縁(いんねん)の呪縛を解く鍵は、あなた自身が持っているということを、決して忘れないでください。


ご両親、そしてご先祖の魂との絆に想いを馳せながら、あなた自身の内に流れ込んできているものとはどのようなものなのか、具体的に振り返っていただきたいのです。

たとえば、「なぜ、これほどの不幸を背負わなければならないのか」と、被害者意識の塊になるような心。「自分を不幸に陥れた存在を許せない」という恨みの心。「これから私の人生はどうなるのだろうか」と祟りの恐怖に怯える心。「もう生きる意味も気力もない」と、自分の存在すらも否定せずにはいられなくなる心。……心の内に巣くう想念を思い切って、真正面から受けとめてみましょう。

たとえば、お父様に対する想いはどうでしょうか。もしあなたが今の穏やかな気持ちで、振り返ることができたなら、きっと、今まで見えなかったお父様の様々な側面が見えてくるのではないでしょうか。

今まで自分たちが被害者で、父親は一方的に加害者にしか見えなかったかもしれませんが、それは一面の姿でしかありません。あなたやお母様がそうであったように、お父様もまた、自らの与り知らぬところで様々な人からの影響を受け、宿命を背負い、不自由を囲うところから人生を生きざるを得なかったかもしれないのです。

そんなお父様の人生を、今度はあなたが「魂の親」になった気持ちで、一緒になって受けとめ、背負ってさしあげることができたなら、あなたの中のこだわりは、きっと溶かされ、浄化の時を迎えてゆくでしょう。あなたの中に「許し」の心がわずかでも芽生えるなら、お父様の魂はどれほど癒やされるでしょうか。

人間とは、何と悲しい存在なのか、何と不自由な存在なのか……。心から人間の悲しみに涙し、人間の心を縛る「世界の実相」に目が開かれていったとき、あなたは大きな「許し」の心によって自ら宿命の呪縛から解き放たれ、真の自由を手にすることができます。そして多くの人々の悲しみや痛みを引き受け、共に背負って歩む、新たな人生を始めることができるのです。

そのとき、人を恨む呪詛(じゅそ)や祟りもまた、宿命に呑み込まれた人間が抱かざるを得ない悲しみであり、痛みにほかならないことを知るでしょう。そして、「祟り」に恐れおののく「恐怖の呪縛」からも解き放たれるのです。

人間の内には、一体どれほどの力と可能性が秘められていることでしょうか。たとえ、何代にもわたる不幸の歴史を背負おうとも、生き地獄とも言うべき悲惨な現実を引き受けようとも、人間には、その不自由な鎖を解く力があり、一切の呪縛を解放し、大いなる存在の御手(みて)に触れることができる――。

人間の内に宿るこの限りない可能性を目の当たりにするとき、大いなる存在は、私たち人間を通して、その御業(みわざ)をこの世界に現そうとしているように思えてなりません。

あなたがいる。あなたが生きる。あなたが歩む。あなたが働く――。もうすでに、そのこと自体に、先祖の魂の救いへの一切の希望が託されています。そのことを胸に、かけがえのないあなたの人生を、ぜひ大切にしていただきたいと心から願っています。