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突然、左遷の憂き目にあってしまいました

大手企業本社の中間管理職だった私は、部下の失敗の責任を取らされて、花形の部から地方の支社へ転任しなければならなくなりました。左遷です。配属先の職場には問題が山積しているとも聞きます。毎日、心が重く、いっそ、思い切って辞めてしまって転職しようかとも考えているこの頃ですが、あてがあるわけではなく、どうしたらいいか悩んでいます。

46歳男性・会社員

試練や逆境にあるときにこそ、あなたの真価が問われる

高橋佳子先生
『いま一番解決したいこと』より一部抜粋・要約

大手企業本社の中間管理職として、花形の部で勤めてこられたあなたにしてみれば、支社への転任は、部下の失敗の責任を取らされてのものとは言っても、予想を超えた人事だったに違いありません。きっとこれまでは比較的順風満帆の人生を過ごしてこられたのでしょうから、相当な衝撃を受けられたとしても当然のことと思います。あなたは今、これまで味わったことのないつらい想いを体験しておられるのでしょう。

その上、転任先には多くの問題が山積しているとのこと、考えただけでも、重い気持ちになるのも無理のないことです。

人生は山あり谷ありです。試練や逆境の時は必ずあります。その試練や逆境に1つずつ向き合うことが私たちの人生であると言っても過言ではないでしょう。

しかし、そのことはわかっていても、問題や困難が降りかかると、逃げたくなったり、誰かを責めたくなったりするものです。もしあなたがそうなっているなら、まずその気持ちを一旦脇に置いて、現実をしっかりと引き受けることが大切です。この出来事は他の誰でもなく、自分に降りかかったものであると引き受け、自分と出来事をつないだときに初めて見えてくる道というものがあるからです。

そして、心に置いていただきたいことは、あなたを取り巻くその事態がいつまでも続くとは限らないということです。事態は常に変化してゆきます。状況は確かに厳しいと思いますが、転任を招いた原因群の幾つかが改善されるなら、事態が光転してゆくこともあり得ます。

ただ、試練や逆境は、常に避けるべきものとしてあるのではないと思います。すべての現実には、いきさつの奥に隠された意味があります。試練のときにこそ、その人の真価が問われ、そのときにしか発見できないことがある。その意味では、試練や逆境の中にあるときは、かつての延長線上では決して見出すことのできなかった新しい自分になれるチャンスでもあるということです。


ここでは、一時期、あなたと同じような境遇にあった、ある男性の取り組みを少しご紹介したいと思います。大手銀行で融資業務を担当されている伊藤剛彦さん(仮名)は、バブル景気の時代、「先行投資だ」との掛け声のもと、無理な融資を繰り返そうとする社会の流れにどうしても納得がゆかず、自らの信念のままに慎重に検討を重ねてゆかれたと言います。しかしそれでは、他行はもちろん、行内の同僚に比べても融資額は伸び悩む一方で、結局は左遷に近い転任を言い渡されてしまったのでした。しかも、その新しい部署の上司は、同じ大学出身の後輩でした。

入社成績がトップだった伊藤さんにとって、その転任はどれほど屈辱的なことだったでしょう。

当時の心境を伊藤さんは次のように述懐しています。「『わかってくれない、何をしたってもう駄目だ』と、不安と恐怖の「感情の脚本」を書き連ね、『俺のサラリーマン人生も終わりだ』と隠居するような気持ちになっていた」と。

私が伊藤さんに出会ったのは、ちょうどそのようなときでした。伊藤さんは私の助言に応え、自分がなぜそんなふうにしか思えないのか、まず自身の人生を振り返ってゆくことから取り組んでゆかれました。

地方の名家の出である父親から、「学歴社会で勝ち抜いてゆけ」との人生教訓を叩き込まれて育ったこと。大きな商家の長女だった母親からは、「あんたはいい子」と手放しに可愛がられ、両親のもと、いつもプレッシャーを感じてきたこと。「期待に応えてちゃんとやらなければならない。失敗したら終わり」と苦・衰退の「恐怖―逃避」の心の回路と、人に対して上から見て関わる傾向のある快・暴流の「優位―支配/差別」の心の回路をつくってきたことに気づいてゆかれたのでした。

そして、私が講義の中で行った音叉の実験(2つの音叉を並べ、一方の音叉を叩いて響かせると、その音叉を止めても、もう1つの音叉が共鳴する)――「指導原理」(宇宙に遍く存在し、一切の存在を生かし、宇宙の意志と1つに響き合う方向へと導き続けている原理)と共振することの大切さを伝えたその内容に、自らが指導原理に響いているならば、銀行の方々にも自分の考え方はきっと伝わるはずだと伊藤さんは想いを定められたのでした。そして、それまでの自分と訣別するように、まずは「私が変わります」と、今の仕事に体当たりで応えることから始められました。そのときすでにバブル経済は崩壊し、不良債権処理が各銀行にとって最大の問題となっていました。

かつて自分が疑問を持った無理な融資の結果である不良債権。その処理を担当することになった伊藤さんは、中小企業へ出向くときも、それまでとはまったく姿勢が変わっていました。銀行側の立場による高圧的な快・暴流の「優位―支配/差別」の心の回路でもなく、そして、気が進まない苦・衰退の「否定―鈍重」の回路でもなく、1人の人間として「絶対にあなたの尊厳を傷つけません」という「畏敬」を抱き、「最低限、生きる道は考えましょう」と必ず最善を導く道があることを信じて、出会いを重ねてゆかれたのです。そうした愚直なまでの誠実な取り組みの結果、他の方では解決できないような仕事上の難題にも道がつき、上司や同僚からは「何か秘訣やノウハウがあるのか」と尋ねられるほどになったと言います。

そして、伊藤さんは自分の感情の脚本を見破り、心の回路――受発色(じゅはつしき)を転換してゆく中で、厳しい状況にある中小企業に道をつけてゆくという、本当に果たしたかった人生の仕事をすることができたのです。


あなたの場合も、こう考えてみてはいかがでしょうか。「今抱えている事態には新しい明日に向かう『呼びかけ』が響いているのだ」と。今、訪れている試練や逆境は、必ず何かを私に呼びかけているということ。新しい生き方、新しいライフスタイル、新しい人との関わりなど、今何か気づき、変革しなければならない時が来ている、と。

新しい自分の発見、新しい人生の発見。それらは常に、試練に向かい合って、感情の脚本から脱し、「私が変わります」を実践することから始まります。そして、「変わろう!」とあなたが切実に思うとき、そこにはもう古い自分を脱ぎ捨てられるだけの、人生全体を支える魂の力との確かなパイプが生まれているのです。今回の試練を通して、ぜひあなたにとっての答えを探していっていただきたいと思います。

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