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好きで結婚したのに、今では些細なことで互いに感情的になり、嫌な結果になるだけ……

私と夫は10年前、互いに惹かれ合って結婚しました。付き合っているときはよかったのですが、結婚後はすれ違いの連続で、些細なことで互いに感情的になり、口論に発展、いつも嫌な結果になってしまいます。今では顔を合わせるだけで気まずい空気が流れ、子どもたちも緊張しているのがわかります。特に決定的な事件が起こったわけではありませんが、このままではいけないと思いつつも、どうにもなりません。友人や知人に相談しても、「恋愛と結婚は違うんだから、ある程度仕方がないよ」とか、「子どものために我慢するしかないんじゃないかしら。どうしても我慢できないんなら、別れるしかないと思うけど……」といった意見がほとんどです。本当に我慢するか別れるか、どちらかしか方法はないのでしょうか。

35歳女性・会社員

2人の間の轍(わだち)を見定め、「私が変わります」の実践から始めましょう

高橋佳子先生
『いま一番解決したいこと』より一部抜粋・要約

互いに惹かれ合い、一緒に家庭をつくろうと将来を約束し合った夫婦であるにもかかわらず、時を経るほどに溝が広がり、やがて傷つけ合う関係にまでなってしまう。しかも、長年一緒に暮らしてきただけに、いきさつが雪だるまのように膨れ上がり、すべてを白紙に戻してやり直すこともできない。何とかしたいのに、どうにもならず、手がかりさえ見つからない……。そうなってしまったとき、果たして夫婦の関わりは修復可能なのか――。あなたのように悩まれている方は少なくないように思います。毎日顔を合わせざるを得ない関わりであるだけに、避けて通ることもできず、深刻な問題であると思います。

しかし、あなたが悩んで、こうして相談されている背景には、まだ「何とかしたい」というお気持ちがあるからであり、それゆえの葛藤なのではないかと推察しますが、いかがでしょうか。

まず、どのような問題にぶつかったときにも、立ち還るべき原点は、自分の本心です。「自分は本当はどうしたいのか」「自分は何を願っているのか」ということです。夫と別れたいのか、自分たちの関係を修復したいのか、本当はどんな関係になりたいのか……。もちろん同じことがご主人の側にも言えるでしょう。

まず、そのお気持ちをしっかりと確かめることが、何よりも大切なことだと思うのです。 関係を修復できるかどうかは、実はあなたが修復したいという気持ちを確かに抱いているかどうかにかかっているからです。


あなたと同じように悩まれていたあるご夫婦がありました。結婚生活も20年あまり経ち、2人のお子さんたちも、自立し始めている頃のことでした。

お2人は惹かれ合って結婚されたのですが、歳月の中でボタンの掛け違いのように少しずつ心がすれ違うようになりました。妻の山岡聡子さんは、夫の敏夫さん(いずれも仮名)に対して、優しくて自分を受けとめてくれるところに惹かれて結婚したのですが、次第に優柔不断なところが気になるようになり、「男なら、もっとしっかりしてほしい」という不満の想いを抱くようになってゆかれたのです。そして、「主人のせいで私は大変な想いをさせられている」という被害者意識を強く持ち、何か問題が起こると、激しい勢いでご主人を責め立てるという関わりが繰り返されるようになってゆきました。

一方ご主人は、その聡子さんの感情の嵐が襲ってくると、いつも決まって、「暖簾(のれん)に腕押し」「糠(ぬか)に釘」という状態で、はぐらかすような対応に終始されていたそうです。話せば話すほどお互いの溝は深まり、関係は険悪になってゆくばかり……。2人の子どもたちも兄弟喧嘩が絶えず、家庭にはいつもとげとげしい雰囲気が漂っているという状況でした。そうした中で聡子さんは、一時は離婚を考えたこともあったそうです。

そんなお2人の夫婦生活に転換をもたらしたのは、聡子さんがご自身の想いと行い、すなわち受発色(じゅはつしき:「受」=受信の仕方、「発」=発信の仕方、「色」=それによって生じる現実)を振り返る中で、ご夫婦の間に長年かけてつくられてきてしまった轍としての受発色の入れ子構造に気づかれたことでした。

まず、何か事が起こったとき、聡子さんはムッとなり、突っかかり、嫌みを言ったり、怒鳴ったりする。そして、最後は必ず、「だからあなたが悪いのよ」という結論に結ぼうとする。「悪いのは主人で、自分は正しいということをどうしてもわかってほしい。そして、主人が変わってくれれば諸々の問題が解決する」と思い込んでいたと言われるのです。

そんなとき、嵐が過ぎ去るのを待つような想いで、聡子さんの話をまともに取り合わないような態度に徹していたのが、敏夫さんでした。そして、そのような敏夫さんの態度に接すると、聡子さんは、とても寂しい気持ちになると同時に「あなたのせいでこんな大変な想いをさせられている。それなのに正面から受けとめてくれない」と怒りを覚え、思わず「何やっているのよ。男でしょ!」と突っかかって、追いかけて言うことを聞かせようとしていました。そして、その聡子さんの受発色に対して、敏夫さんは「うるさいなあ」とますます逃げる――。追いかけるから逃げ、逃げるから追いかける――。お互いの想いと行いが、グルグルと悪循環し、ますます轍を深める結果となっていたのです。

聡子さんはこのような2人の間につくられていた受発色の入れ子構造に気づかれ、「何とかしてほしい」とご主人が変わることを要求していたのですが、それは、決して事態を解決する道ではなく、2人の関係を壊し、かえって問題の根を深めてゆくだけであったことを見抜かれました。そこで、まず、ご自身の受発色を変えてゆくところから始めてゆこうと決意されます。いつもなら敏夫さんを思わずなじってしまうような場面でも、和顔愛語 (わがんあいご:和らいだ笑顔で対し、愛情の込もった穏やかな言葉を交わすこと)に努め始めたのです。

初めのうちは無理をして笑顔に努めていた聡子さんでしたが、やがて自然な笑顔が生まれるようになりました。すると、ご主人も心を開いて率直な想いを語ってくれるようになり、20年近くどうにもならないと思っていたご夫婦の関わりが、緩やかに、しかし確実に変わり始めたのです。しかも、ご夫婦の関係が変わったら、不思議なことに、お子さんたちもほとんど喧嘩をしなくなるという思いがけない影響も現れたのです。


いかかがでしょうか。2人の間につくられてきた受発色の入れ子構造を見抜き、自らの受発色を転換してゆくとき、新しい夫婦の関わりが生まれる――。ぜひ、あなたも今日から、 そうした歩みをできることから始めてみてはどうかと思うのです。

小著『人生で一番知りたかったこと』の「新しい夫婦関係をどうつくるか?」にも記させていただいたように、そもそも夫婦関係の難しさは、最も近い人間関係でありながら、互いの「人生の条件」がまったく異なっていることにあります。あなたとご主人の場合も、人生に何を求めるのか、生活において何を大切にするのか、男女のはたらきや役割をどのように捉えるのか、子どもの教育において何を重視するのか……等々を大きく左右する互いの生まれや生い立ちなどの「人生の条件」が、もともと大きな違いを抱えていたと言えるのではないでしょうか。

恋愛の時代には、些細な違いとして気にすることもなく、むしろ自分にない個性として魅力的にさえ感じていたそれら1つ1つのことが、不理解の要因となり、ときには軋轢(あつれき)となって、2人の間に距離をつくってしまうということも少なくはありません。

しかし、結婚とは、もともと大きな違いを抱く人間同士が1つの家族となって新しい歩みを始めるということであり、夫婦の出発点に違いがあるのは当然の前提と言えるでしょう。その人生の条件の違う者同士が本当に理解し合うということは、ある意味では大変な難事業であると言えます。その理解への道は夫婦として歩み始めたところから始まり、生活を共にしながら歳月を重ねる中で、次第に夫婦に「成って」ゆくのです。

「人生の条件」の違いを抱く2人が夫婦として、その理解への道を歩もうとするとき、2人の関係には2つのあり方があると思うのです。1つは、互いに向き合って、必要とし合う(フェイス・ツー・フェイス)の愛情であり、こちらは誰もが恋愛時代に自然に結んでいる関わりです。これは、相手によって簡単にぐらついてしまうとても不安定な関わりでもあります。もう1つは、2人が同じ方向を向いて手を携え、歩んでゆく同志のような (サイド・バイ・サイド)の愛情。人生を長く共に歩んでゆくには、この後者の関わりが必須となります。同じ目的を抱いていれば、それがどんなにささやかなものであっても、 また離れていても、心を通わせ合い、1つになって歩むことができます。

2人が長い間つくってきてしまった関係の轍を振り返り、それぞれが「私が変わります」 を実践してゆく道のりそのものが、もうすでにサイド・バイ・サイドの関わりと言えるでしょう。

そして、互いに「人生の条件」を深く理解し合い、受けとめ合った上で、相手の存在の大切さ、尊厳を認め合うとき、たとえ一時は傷つけ合った夫婦であっても、2人に意志があるならば、その絆を恢復できる道は必ずあります。

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