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どうしてここまで嫌がらせを!? 私の心は姑に対する不満で爆発寸前です

私の家族は親子4人で幸せに暮らしていましたが、今から2年前、姑(しゅうとめ)との同居が始まってから一変してしまいました。舅(しゅうと)が亡くなり、姑が病気がちになったことから、親族との関わりもあって、1人息子の夫が姑を引き取らざるを得なくなったのですが、姑とはどうしてもうまくゆきません。それでも最初は馴れないからと自分を説得していたのですが、いくら私が姑に尽くしても、姑は毎日嫌みを言ったり嫌がらせをして、「ここまでするの!?」 と思うほどです。姑は、私のことを1人息子を奪った嫁としか思えず、嫌がらせをしているらしいのです。「こんな目に遭って何て自分はかわいそうなんだろう」と思いますし、正直言って「もう、姑のことは絶対に許せない」という気持ちもあります。

45歳女性・主婦

幸せの鍵は、外にあるのではなく、受発色を転換する中にあります

高橋佳子先生
『いま一番解決したいこと』より一部抜粋・要約

嫁姑の関わりで苦しんできた女性は少なくありません。むしろ、相手のご両親と同居した女性のほとんどが、多かれ少なかれ、そうした軋轢(あつれき)を抱えてきたと言えるように思います。あなたにはまず、苦しんできたのはあなただけではなく、あなたは孤立していないということを知っていただきたいと思います。

そこには、家風の違い、生活習慣の違い、味覚の違い、金銭感覚の違い、子どもの教育に関する考え方の違い……等々、ありとあらゆる「違い」が存在したことでしょう。

最初はささやかな違和感であったものが、時の経過とともに大きな溝となって反感や不満を引き出し、ついには後戻りできないほどの憎しみや恨みにつながってしまう――。そして収め切れない軋轢を抱えながらも同じ屋根の下で毎日顔を合わせざるを得ないとしたら、それは互いにとってどれほどの苦しみとなるでしょう。

しかも、あなたの場合は、進んで同居の道を選んだと言うよりも、親族との関わりの中でそうせざるを得なくなったとのこと。お姑さんのお身体や独り暮らしの寂しさのことも、あなたの心をよぎったのかもしれません。そこまでお姑さんのことを考えて同居したのに、お姑さんから感謝されるどころか、毎日のように嫌みを言われ嫌がらせを受けているとしたら、理不尽な気持ちになるのもある意味で仕方のないことなのかもしれません。

1度掛け違ってしまったボタンはどこまでも食い違いを生じさせ、不満は次なる不満を呼んで大きくなるばかり――。あなたの中に、「感謝してもらってもいいはずなのに」「認めてもらって当然なのに」という想いがあればあるほど、それはどうすることもできないものになってしまうでしょう。

ですから、あなたには、ここで改めて考えていただきたいのです。「自分はこの事態をどうしたいと思っているのだろうか」と。

あなたがこれまでどうにもならないと感じてきた現実に対してこういう形で訴えられたということは、一歩を踏み出そうとしているということかもしれません。そしてそこには、 大切な1つの選択が横たわっていると思います。

あなたは今あなたが抱えている不満――理不尽な想いをスッキリさせたいのか、それとも理不尽な想いを生じさせてしまう事態そのものを何とかしたいのか――。そのことを、あなたの中ではっきりさせることが大切だと思うのです。

不満に捕らえられると、私たちはどうしてもそれを晴らしたくなり、新たな混乱の連鎖を生じさせてしまいがちです。不満が生じたとき、まず心すべきは、感情に支配されて自分を見失わないことであり、はけ口を求めて無軌道に走り出そうとする不満の力を調御することだと思うのです。そのとき、本当はどうしたかったのかという本心を初めて自覚することができるのです。


製造会社の開発室長である川田千枝さん(仮名)も、かつてあなたと同じようにお姑さんとの関わりで苦しんでこられました。

そもそも人一倍努力家の川田さんは、たとえ仕事で疲れていても、懸命に家事に尽くしてこられました。ところが、結婚してから20年近くにわたって、お姑さんとの間の確執はなくなるどころか、深まるばかり……。たとえば、川田さんが1度洗って干した洗濯物を、お姑さんがもう1度自分と息子さんの分だけ洗い直して干す。川田さんがつくった食事を夫や子どもたちは「おいしい」と言ってくれるのに、お姑さんは「変な味がする」と文句を言って食べない……。一事が万事、こんな調子で、「仕事が終わって、さあ家に帰ろう。あの家……と思っただけで、体中の血が逆流するような気がした」と川田さんは述懐(じゅっかい)されます。その後、とうとう本当に血が逆流するという婦人科系の病気に罹(かか)ってしまわれたほどでした。「このまま行ったら私はどうなってしまうんだろう」「何でこんな嫌がらせをするのだろう。もう許せない」……。自分の中から地獄のような心がどんどん引き出されてしまう――。川田さんは、どうにかしたいと思いながらも、この不満と怒りの気持ちからは自由になれないという深い苦悩の真っただ中にありました。

そして、わらをも掴む想いでご自身の受発色(「受」=受信の仕方、「発」=発信の仕方、 「色」=それによって生じる現実)の回路を見とっていったとき、川田さんは、「私はできる。私はわかっている」という快・暴流の「優位―支配/差別」 の受発色がお姑さんを嫌な想いにさせ、結果的に嫌みや嫌がらせとも思える言動を引き出していたこと、さらには苦・暴流の「不満―荒れ」の受発色こそがますます互いの関わりを捻れさせ、どんどん不幸を増殖していたことに気づかれたのです。「自分の受発色こそが、この事態の原因だった」――それは、想像したこともない自分とお姑さんの関わりであり、内と外のつながりの現実でした。

深い後悔とともに一念発起され、川田さんの「私が変わります」――受発色を変革する 「行」(日々のライフスタイル)の実践が始まりました。そして、川田さんは少しずつ、「優位―支配/差別」の受発色と「不満―荒れ」の受発色を転換し、お姑さんとの絆を結び直したいというご自身の本心を掴んでゆかれたのです。

そんなある日、お姑さんが苦境に立ったことを知った川田さんは、本心からまごころを込めて、「苦しくてもつらくても一緒に助け合ってゆく家族をつくろう。私もおばあちゃんを守るから安心してね」とお姑さんに率直に伝えたとき、お姑さんは「今までごめんなさい。ありがとう」と言って泣き出されたそうです。思いがけず恵まれた出会いでした。そして今では、互いに心が通い合うようになり、嫁姑の関わりを超えて、まるで友だちのような関係になることができたのです。


このような川田さんの体験から、私たちは何を手がかりとすることができるのでしょうか。かつて川田さんが「おばあちゃんが変われば、私たちは幸せになれる」「私たち夫婦2人だけで生活できれば幸せになれる」と思っていたように、あなたも「お姑さんさえ変われば…..」「お姑さんさえいなくなれば……」と思ってはいませんか。

しかし、問題を外に見て相手のせいにする、この不満の回路こそ、実は不幸をどんどん増殖する回路であるとは言えないでしょうか。相手を変えようとするやり方だけでは、決して幸せにはなれなかった――。それは、これまでの歩みが物語っていることではないでしょうか。

幸せの鍵はどこにあるのか――。それは、外にはなかったのです。自らの受発色の回路にこそ、その鍵、その入り口はあり、自らの受発色を見つめ、転換したときに、それは幸せを運ぶ回路となり、道となってゆくのです。

「わかってくれない」「認めてもらえない」「自分を大切にしてくれない」といった不満の受発色をとどめ、転換して、まごころからなる本心に目覚め、率直にお姑さんに語りかけ、関わってみる――。そのとき、あなたはきっと、思いも寄らない新たな現実、新たな関わりが開かれることを体験されることでしょう。

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