#
# #

会社の経営不振をどのように乗り越えればいいのでしょうか?

30歳で会社を興し、間もなく30年――。時代の変化とともに、売り上げが伸び悩み、新規事業も不調で、経営不振に陥っています。このままでは従業員をリストラするしかありません……。この試練をどのように乗り越えればいいのでしょうか?

59歳男性・会社経営

自らの心を変え、「想像」の限界を打ち破ることで、新たな「創造」が生まれ、経営危機を乗り越えることができました

野々内達雄さん
近江屋ロープ株式会社代表取締役社長

68歳 京都府

私は、京都で、江戸時代から200年以上8代続く老舗の綱(ロープ)販売会社を経営していて、かつて同じように深刻な経営不振に苦しんでいました。
しかし、「魂の学」を実践することで、その危機を乗り越え、卸売業からメーカーへと業態を転換し、第2創業を果たすことができました。私の経験が、何かしらのヒントになれば幸いです。


私が8代目として社長に就任したのは、バブル経済がはじける直前の1991年3月のことでした。その頃、人との関わりに自信がなかった私が、「魂の学」を学ぶ経営分野の研修に参加して、「人間を目的とした会社」──社員1人ひとりを大切にし、それぞれの可能性を引き出すという経営観になぜか心惹かれたんです。

その後、バブル経済が崩壊し、当社の売り上げは下がり始め、歯止めがかからなくなりました。取引先が林業という不況産業であったり、それまで安定していた卸販売が構造的不況に陥ったりしたため、様々に打つ手もすべてうまくゆかず、社員の士気も低迷──。「いよいよ駄目か」と思い始めていたとき、高橋先生とお会いする機会がありました。


「人間の眼は見たいものしか見えないのです。まだ新しいアイデアはあるはずです。私たちの『想像』の限界が、『創造』の限界になります」


高橋先生のこの言葉に、私は大変な衝撃を受けました。ただただ暖簾を守ることに汲々として、「もう終わりかもしれない」という想いに呑まれて身動きが取れなくなっていた私の心に、一陣の清新な風が吹き抜けたようでした。
そして、代々受け継いできた経営方針や商品に対する先入観に縛られていたことが見えてきたんです。経営不振の原因は、そうした私の心の縛り、想像力の限界そのものにあると痛感したんです。


生き直しを心に期し、願いを具現するために毎日、「ウイズダム」(高橋先生が考案された、問題を解決し、新たな未来を創造するための智慧であり、メソッド)に取り組みました。

そんな矢先でした。経営を圧迫し、お荷物となっている部署のあるベテラン社員と、鹿の食害防止用ネットを視察するために1泊で出張に出かけました。

すると、そのベテラン社員は、「今日視察したものより、もっといいものをつくらせてもらえませんか? 社長、もう私は嘱託という立場になりましたが、どうか私を見捨てないでください」と言ったのです。その言葉が、私の胸に突き刺さりました。私は、社員1人ひとりを大切にする会社をめざそうと思っていたはず。しかし、このような想いを抱かせていたのか――。「お荷物」と思っている自分の想いを見透かされた気がしたのです。
それまでの想いが反転し、私は彼に言いました。「一緒にやってみよう。共に古い上着を脱ぎ捨てて新分野に挑戦しようじゃないか」と――。私の新しい挑戦の始まりでした。

「古い価値観に縛られた自分の心を砕き、新たなまなざしで現実を捉え、素手でぶつかってゆこう!」「これを開発しようと思ったら、どんなことがあってもやる」と決意しました。
そして、「1人のユーザーが本当に満足できる開発に集中する」という理念のもと、農林業における野生動物の食害防止ネットを開発するに至ったのです。


それから4年、商品の特許も取得し、新事業は順調に成長・発展し、過去最高の売り上げを達成。新規開拓商品の売り上げが、全体の5割以上を占めるほどに至りました。

また、卸売りを手がけてきた老舗が、新たにメーカーとして第2創業を果たした取り組みが評価され、様々な賞を頂くことになったのです。

今、疲弊感や不満が蔓延していた空気も一変し、社内には活気が満ちています。

まさに、私自身の心を変え、「想像」の限界を打ち破ることによって、新たな「創造」が生まれ、経営の危機を乗り越えることができたのです。

同じテーマの記事をみる
経営