#
# #

次から次へと試練がやってきたとき、どうしたらいいのでしょうか?

私は、大手メーカーの工場で、管理責任者をしています。ここ数年、売り上げ不振で業績が低迷し、いくつかの工場が閉鎖に追い込まれました。社員の賞与はゼロ、給与カットも始まり、かなり厳しい状況です。しかも、リストラの波で、残された社員たちの士気は下がり、労災事故が増え、対処しきれず、疲労困ぱい……。次から次へと試練ばかりが続いて、もう何も考えられない状況です。一体これから、どうしていったらいいのでしょうか? 

54歳男性・管理職

問題山積の状況を、様々な可能性と制約を抱く「カオス」であるという新しい発想術で受けとめたとき、試練を力に変えてゆくことができました

浅村公二さん
小樽駅前ビル株式会社
専務取締役 68歳 北海道

私は、北海道の小樽駅前ビルの再々開発計画を担当し、次々とやってくる問題に対処しきれず、襲ってくる試練にどうしたらいいのか、苦しみました。
しかし、「魂の学」を実践する中で、それらの試練を乗り越え、新しい駅ビルをオープンすることができました。私の経験が、何かしらのヒントになれば幸いです。


2002年当時、JR小樽駅前交差点角にあるビルは、地方衰退が進む中、1番のテナントだった大手のホテルがとうとう営業停止になり、それに伴ってテナント店舗が次々と出てゆき、地元の新聞も「幽霊ビル」と呼ぶほど、ゴーストタウンと化していました。


このビルは、もともと、1976年、成立して間もない「都市再開発法」に基づいて建設されたもの。そのビル管理会社の社員で、実質的な現場責任者の私は、関係者を集めての合同会議を開きました。そこで再々開発として、ビルの建て直しが決まったんですが、その後、私の前には、様々な難問が次から次へと押し寄せました。それをまとめてみると、こんな状況でした。

  1. 60億円にも及ぶ建て替え費用の工面
  2. 区分所有ビルゆえの権利調整の難航
  3. 周辺区域の方々への立ち退きおよび一時的な移転
  4. 代替店舗・代替地の確保
  5. 休業補償の手当
  6. ホテルの滞納金2億4000万円の回収
  7. 市民プールの閉鎖に対する反対運動
  8. 歩道橋撤去に対する異議
  9. 繰り返されるホテル売却の白紙撤回
  10. ホテル所有権に関する暴力団関係者との交渉
  11. 当初予算60億円がプラス7億円の膨張
  12. 関係者が相次いで心身の不調を訴えて離脱

小樽駅前再々開発は破綻か――。誰もがそう思っても不思議はないような状況でした。私自身、大変な重圧の中、「もうダメか。会社も倒産か……」という気持ちに追い込まれていったのです。


そんな私を支えたのは、大手ホテルが破綻に至る2カ月前、高橋先生との出会いの折にかけていただいた言葉でした。

「浅村さんが思っている以上に今、会社にとって大切なときです。……それなのに、浅村さんの中で、『いつかどうにかなるんじゃないか』と予定調和的な感覚があるんじゃないでしょうか」

私は虚をつかれ、ハッとしました。しかし、瞬時に得心したんです。「いつかどうにかなるだろう」という自分の想いこそが、事態をここまで深刻にした最大の原因だったのだと――。深い後悔が私に訪れました。
さらに高橋先生は、その2年後、ビルの建て直しが決定した直後にも、「山あり谷ありは当たり前」「周囲の方々の動きまでも、率先して考え、準備すること」と伝えられました。その心構えはぶれることのない中心として、私を支えてくれたのです。


私は不退転の想いで、高橋先生が説かれる「カオス発想術」で難問に向かいました。

それは、直面していた問題山積の状態を「カオス」(まだ何の形も輪郭もなく、結果も出ていない、様々な可能性と制約、光と闇を内に秘めた混沌とした状態のこと)と受けとめ、たとえ今は見えていなくても実現されることを待っている青写真があり、引き出されるべき可能性があるという考え方でした。

具体的には、①「願い・青写真」を描くこと、②試練の顔を見つめること、③「祈り心」によって事態に触れることを実践していったのです。

まず、「小樽に生まれ育った自分だからこそ、この町に住む方々を幸せにしたい」という願いを深めてゆきました。そして、1つ1つの試練と向き合い、マルかバツかではなく、試練の顔をよく見ようと努めました。さらに、すぐに不満を抱いてしまう自らの心を、祈りによって整え続けました。

すると、表面的な印象とは異なる、事態に秘められた隠れた可能性と制約が見えてきたのです。この「カオス発想術」が少しずつ自分のものになっていったとき、内側からエネルギーが湧いてきて、先ほどの難問の1つ1つを解決してゆくことにつながりました。


そして、2009年、難攻不落に思えた試練を超えて、ついに小樽駅前に新しいビルが完成しました。駅前の再々開発に成功した稀有なモデル例として、小樽市には、全国各地から視察の方々が来られています。

「本当に街が明るくなりました。安心して暮らせるようになり、うれしいです」など、小樽の皆さんから寄せられる声を聞くことは、何にも代えがたい私の歓びです。試練を嫌なものとして退けず、「カオス発想術」で引き受け、道を開いたとき、このような未来が待っていたことに感謝し、これからも「カオス発想術」で未来の道を開いてゆきたいと願っています。

同じテーマの記事をみる
仕事