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学校に通うことに意味を感じられないのですが……

大学に入学したものの、勉強する意味が感じられず、毎日アルバイトに明け暮れています。この頃は、自分で一体何がしたいのかさえわからなくなっています。どうしたらいいのでしょうか?

20歳男性・大学生

学生生活は、人生の目的・使命に至るプロセスというまなざしを抱き、本心・願いを尋ね、具体的な一歩を踏み出すことを大切に

高橋佳子先生
『いま一番解決したいこと』より一部抜粋・要約

あなたがこのような疑問を抱いたのは初めてでしょうか? もし、これまではあまりなかったとしたら、今、あなたは初めて自らの人生に対して、真剣に向き合おうとし始めている大切な時期にあるということだと思います。


あなたが、「このままでいいのだろうか」と思われたのも、何よりも人生を大切に思い、意義あるものにしたいと思っていらっしゃるからでしょう。そしてそれ以上に、「人生とはもっと確かな意味を持っているものだ。自分の人生には為すべきことがあり、それを探したい」というお気持ちがあるのではないでしょうか。 それはあなただけではありません。人は誰もが、心の底では人生の目的、あるいは自らの使命といった言葉に結ぶことができる“何か”を探し求めている旅人です。

けれども、そのような“何か”を簡単に見つけられるわけではないでしょう。大学での勉強に意味が見出せないのも、心の底で求めている自分の人生の目的と、目の前にある大学での勉強とのつながりが見出せないからではないでしょうか。


ただ、大学での勉強が、自分がめざしていることと直接的に結びつかなくても、それだけで無意味だと決めつけるのも早計です。長い人生の道のりから考えるならば、大学生活はその一里塚。勉学において1つの専門を深めたり、また自由に使える時間の中で、関心や興味を耕したり広げたりすることも、人生の目的、かけがえのない使命に至るプロセスであるというまなざしを忘れないでいただきたいのです。


誰の魂にも必ず「このように生きたい」「このことを果たしたい」という願いが刻まれ、魂の願いを持っていない人はいないのですが、それは、いつも容易に見出せるとは限らないということです。ですから探し続ける必要があるのです。

私はよく、「私にも願いがあるのでしょうか?」とか「私の人生にも使命があるのでしょうか?」といった質問を受けることがあります。その折には確信をもって、「それがあることを信じて辛抱強く探してください」とお答えしています。 魂に刻まれた願いということから、その願いを私は「魂願」(こんがん)と呼んでいます。誰もが、その魂願に導かれて人生を生き、果たすべき人生の仕事があって生まれてきています。それはあたかも種子の中に眠る可能性のようなものです。たとえ目には見えなくても、小さな種子の中に、やがて花開く可能性が眠っているように、その人だけにしか咲かすことができない花を開かせ、人生の実を結ぶ可能性がすべての魂には秘められています。


人によっては、具体的な歩みを進めながら自分の本当の願いに目覚めてゆくこともあります。また、願いだと思い定めて歩み始めたとしても、試練にぶつかって、あきらめなければならないこともあるかもしれません。人間が魂の願いを見出し、成就するには一生かかると言っても過言ではありません。あなたは今その人生の大仕事への道を見極めなければならない大切な時期にさしかかっているということだと思うのです。

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