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時の羅針盤・212

時の羅針盤・212

どちらを選ぶのか

高橋佳子


それなしに生きることはできない

知らないときには、それがなくても何の不都合もなかったのに、1度知ってしまったら、もう、それなしに生きることはできない──。

多くの人に思い当たるものがあるでしょう。

文明の利器と呼ばれる様々なものは、私たちの生活になくてはならないものになっています。洗濯機、冷蔵庫、炊飯器、電子レンジ、掃除機、冷暖房機、照明器具、車、携帯電話……。それらのどれ1つをとっても、もし、それがなくなったら、今までの日常生活が成り立たない──。そうとしか感じられないでしょう。

それらは、それほど私たちの暮らしに溶け込んでいて、私たちはそれなしに生きることなど考えられなくなっているのです。

でも、私たちにとって、「それなしに生きることはできない」と感じるものは、「モノ」だけではありません。

「魂の学」(*1)と出会い、5年、10年と学び実践してきた人なら、「魂の学」の考え方、捉え方、そして生き方が身に沁みていて、もうなくてはならないものになっているはずです。

試練が来れば、「どんな呼びかけ(*2)だろう」と考え、何かうまくいかないことがあれば、自分の内側を振り返る。人と出会えば、「この方はどのような受発色(じゅはつしき)(*3)の型を持っているのか。快・暴流(*4)だろうか、それとも苦・暴流(*4)だろうか」と意識するまでもなく考え始めている──。さらには、大切な仕事の前にはウイズダム(*5)に取り組んで、準備を整えたいと思う──。

「そんなふうに考えるな」と言っても、それは無理。呼吸をするように、ごく自然にそのように考え、行動してしまっているのです。

まさに、それなしに生きることができなくなっているのです。

普通に唯物的な世界に生きていた

しかし、考えてみていただきたいのです。

逆に言えば、今から5年、10年前までは、あなたは、その考え方を知らず、そんな生き方ができるとも思っていなかった──。そして、多くの方は、そのことに何の不自由も覚えていなかったのではないでしょうか。

今、「魂の学」を学んで、現象界と実在界、見える次元と見えない次元を等しく受けとめ、それをつないで生きることを自然にしている方でも、それ以前は、見えない次元を否定する「唯物的な世界観」に疑問もなく生きていたということでしょう。

世の中が評価する目に見える数字やお金の価値を重んじる流れに、ある意味で身を任せていたわけです。

試練が来れば、「どうしてこんな目に遭わなければならないのか」と憤り、問題があれば、自分以外のもののせいにし、人と出会えば、その人が抱いている価値や権力で忖度(そんたく)する。

他人の目があるところでは建前で立派な人を演じようとし、それにくたびれて本音では愚痴を言ったりする……。

とどのつまり、快苦の刺激によって、舞い上がったり、落ち込んだりを繰り返しながら、それ以外の生き方ができずに、そう生きざるを得なかったのです。

隠れている選択──唯物的世界か魂としての世界か

それが、現在とどれほど隔たりのあるものなのかを感じていただきたいと思います。「魂の学」と出会い、その生き方を選ぶかどうか、そこには大きな違いが生じるということです。つまり、明らかではなくても、すべての人に、重要な選択が隠れているということなのです。

唯物的な世界観をそのまま生きてゆくのか、それとも見えない次元、人間を魂と受けとめる世界の扉を開くのか──。それは、多くの人々が思っている以上に、大きな違いをその人にもたらすことになります。

人間を魂と受けとめることによって、誰もが自分の人生をこれまで以上に、深く生きることができるようになります。他の存在を表面的にではなく、その方が背負っている背景も含めて受けとめることができるようになります。世界に張り巡らされているつながりを受けとめて、そこにある豊かな意味を生きることができるようになります。

自分を信じ、人間を信じ、世界を信じることができるようになるということなのです。それこそ、本当の幸せにつながる道だと言えるのではないでしょうか。

2021.10.23

〈編集部註〉

*1 魂の学

「魂の学」とは、見える次元と見えない次元を1つにつないで人間の生き方を求めてゆく理論と実践の体系です。物質的な次元を扱う科学を代表とする「現象の学」に対して、物質的な次元と、それを超える、見えない「心」と「魂」の次元も合わせて包括的に扱おうとするのが「魂の学」です。それは、私自身の人間の探究と多くの方々の人生の歩みから見出された法則であり、「魂・心・現実」に対する全体的なまなざしによって、人間を見つめ、あらゆるものごとに応えてゆくことを願うものです。
(著書『最高の人生のつくり方』50ページより引用)

*2 呼びかけ

思わぬ事態に陥ったとき、大きな失敗をしたとき、人から責められたとき、自分の想いが通じなかったとき、何かすっきりしないモヤモヤとした気持ちが続くとき……、「魂の学」では、「この事態が呼びかけていることは何だろう」と、心の耳を澄まして、そこに届いている「声」を聴こうとします。呼びかけを聴く生き方の基本は、自分の心に向き合うことです。この事態は、私が抱えている問題を教えようとしているのだろうか、足りない要素を知らせようとしているのだろうか、自分がまだ気づいていないテーマを知らせようとしているのかもしれない、新しい段階・新しい時代に入ったことを教えているのかもしれないと考えるのです。

*3 受発色

「受」とは、私たちが現実(外界)に生じた出来事を心(内界)に受けとめる受信のことで、「発」は、受信を受けて外界に関わってゆく発信のこと。「色」は仏教の言葉で、目に見える現実──人のことも含めて事件や出来事、外界のことを言います。人間は、生きている限り、この「受発色」のトライアングル(三角形)を回し続け、たとえ無自覚であったとしても現実を生み出し続けているのです。
(『神理の言葉2012』66~67ページより一部抜粋)

*4 快・暴流、苦・暴流(煩悩地図)

「煩悩」とは、もともと仏教の言葉で、人々の心身を煩わし、悩ませる一切の妄念のことを指します。「煩悩地図」では、「煩悩」のことを、人生を暗転させる「4つの煩悩」の傾向として捉えます。「4つの煩悩」とは、人間の「怒り」や「不満」に象徴される「苦・暴流(被害者)」の傾向、人間の中にある「怠惰」や人に対する盲目的な「依存心」に象徴される「快・衰退(幸福者)」の傾向、「恐怖」や「否定的想念」に象徴される「苦・衰退(卑下者)」の傾向、そして「欲望」や人に対する「支配」に象徴される「快・暴流(自信家)」の傾向のことです。
(著書『運命の方程式を解く本』105~107ページより一部抜粋・要約)

*5 ウイズダム(因縁果報ウイズダム)

高橋先生によって考案された「因縁果報ウイズダム」は、因縁果報のまなざしによって様々な問題を解決し、新たな未来を創造するための智慧であり、メソッド(方法)です。まず、因(自分)に問題を引き寄せ、その因と縁(条件)が交わってどのように果報(問題)を生んでいるのか、その暗転循環のエネルギーの流れをつかみます。そして、因を変革し、縁(同志・原則・システム)を転換し整えてゆくことによって、暗転へ向かうエネルギーは次第に止まり、光転循環を生むエネルギーが勢いを増し、解決と創造への道をつけてゆくことができるようになります。