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時の羅針盤・201

時の羅針盤・201

人間力を求める

高橋佳子


魂の尊厳を抱いて

コロナ禍の中で11月に実施されたユビキタス講演会──。「ユビキタス」とは「至るところに存在する」の意で、今年はあらゆる場所が講演会の会場となったのです。それをきっかけに「魂の学」(*1)をもっと探究してみようと多くの方々が入会され、私たちの共同体にお迎えできたことは、本当にうれしいことです。

今月は、人生の新しい次元を歩み始めようとする皆さんへのメッセージの形を取らせていただきながら、改めて会員としての歩みということについて一緒に考えてみたいと思います。

新たな歩みを始める皆さんに、まず何よりもお願いしたいのは、様々な試練の中で私たちの現実の生活がいかに汲々としたものであっても、自分自身のことを決して矮小化することなく、大切に受けとめていただきたいということです。

私たち人間は、永遠の生命を抱く魂の存在──。誰もが何度も人生を経験し、その智慧を内に抱いている尊い存在です。

様々な不足や未熟があっても、1人ひとりが抱いている可能性は限りがなく、決して貶められるべきものではありません。そして、その人生には、その人にしか果たせない目的と使命が託されているのです。

だからこそ、「どうせこんなもの」「どうでもいい」「なるようにしかならない」……等々、このようなつぶやきは、これからの人生には無用であり、御法度であるということです。

私たちは忍土に生きる存在

私たちが人生を営むのは、天国のような場所ではありません。「魂の学」では、私たちが生きるこの世界のことを「忍土」と呼んでいます。心の上に刃を置かざるを得ない場所とは、少し心が動けば、その刃で傷つくことが避けられない過酷な場所であるということです。

この忍土を忍土たらしめる、一貫した2つの定があります。

1つは「崩壊の定」──。そのままにしていたら、あらゆるものが古び、錆びつき、崩れ、壊れてゆかざるを得ない。どんなに大切なものでも、最初から失われてゆくことが決まってしまっているようなものなのです。

しかも、自分がどんなに強く願っても、現実世界は私たちの思い通りになる世界ではありません。

「こうしたい。ああしたい」と思っても、逆に「これは嫌だ。取り除いてほしい」と思っても、そこには様々なしがらみがあったり、動かしがたい条件に縛られたりしていて、自分1人ではどうすることもできないのです。それを「不随の定」と言います。

もし、この「崩壊の定」「不随の定」という2つの定に支配されるままなら、私たちの人生は次々に多くの困難に見舞われ、その果たすべき目的も使命も見失われてしまうでしょう。

求めるべき人間力がある

私たちに大きな負荷をもたらす忍土──。しかし、どうにもならないようなこの世界に、実は2つの定とまったく異なる力もはたらいています。それが、この世界の不思議です。

あらゆるものを崩壊に導き、自分ではどうすることもできない定がある一方で、それとは対照的に、あらゆるものを新たな調和と発展へ、暗転から光転へと導く流れが存在している──。それが、私たちが生きる世界のありのままの姿であるということです。

崩壊と不随の定の下で、すべてを暗転に押し流そうとする流れは、圧倒的に見えます。とても1人の力でそれを変えることなどできないように思えます。

でも、私たちが自らの心を耕し、宇宙・自然の法則に合致する生き方を連ねてゆくと、私たちは心の不自由さを脱して、どんどん自由になり、元気になってゆきます。そして、それぞれの場所で、何のために生きているのか、その根本の必然に応えられるようになり、宇宙に流れるもう1つの光転への流れを引き寄せることができるようにもなるのです。

宇宙に遍在する光転力を自らが体現して、今度は、その力を世界のために解き放つことができる──。それこそ、私たちが発揮すべき内なる力であり、「魂の学」を通じて求め続けなければならない人間の力にほかなりません。そのことを心に深く刻印していただきたいのです。

2020.11.22

〈編集部註〉

*1 「魂の学」

「魂の学」とは、見える次元と見えない次元を1つにつないで人間の生き方を求めてゆく理論と実践の体系です。物質的な次元を扱う科学を代表とする「現象の学」に対して、物質的な次元と、それを超える、見えない「心」と「魂」の次元も合わせて包括的に扱おうとするのが「魂の学」です。それは、私自身の人間の探究と多くの方々の人生の歩みから見出された法則であり、「魂・心・現実」に対する全体的なまなざしによって、人間を見つめ、あらゆるものごとに応えてゆくことを願うものです。
(著書『最高の人生のつくり方』50ページより引用)