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時の羅針盤・185

時の羅針盤・185

主導権を見つめる

高橋佳子


なぜ自滅的行動を取るのか

人間は、不思議な生き物です。複雑な関係が錯綜する世界を生きるための力を与えられながら、まるで自分を滅ぼそうと思っているとしか見えない行動を取り続ける人がいます。

どんな人も、「よかれ」と思う選択を重ねて生きています。「これが1番いい」と感じる選択を選び取っているはずです。

しかし、どうでしょう。傍から見ると、どう考えても現実をわざわざ悪化させようとしているとしか見えない。自分を絶体絶命の状況に追い込んでいるとしか思えない。そうとしか言えない現実があふれています。

自分の劣勢を感じると、一発逆転を狙わずにはいられない──。今までそれでうまくいった試しはないのに、心の中では、すべてをひっくり返して大団円を迎える自分の姿を夢想してしまうのです。

あるいは、ここぞというときに、逡巡を繰り返し、足踏みをしてしまう人がいます。今こそ1歩を踏み出さなければならないのに、そうできない。踏み出さなければ、これまでの繰り返しになることは明白なのに、立ち止まってしまう──。そんなことをしたら、絶対にうまくゆくはずがないのは火を見るよりも明らかなのに、本人は無自覚に同じやり方を踏襲してしまうのです。

誰もが疑わない自分の確かさ

自分に対する評価や待遇が十分ではないと思っている人は、世の中には数え切れないほどいます。長年にわたって自分が冷遇されてきたと感じる人も多いでしょう。

そうした不満を募らせている人は、他の人や周囲の素晴らしさに目が行かなくなり、様々な問題点を意識化しがちです。それらの問題点をあげつらい、そこで自分を認めない人や周囲の問題を指摘して、内にため込んできた不満や憤りを晴らそうとする──。

自分の評価や待遇に不満を持つ人は数多くいても、自分の確かさを疑う人は少ないということです。

先の例を含めて、問題を大きくしているのは、私たち人間の「心」です。ならば、それを転換し、解決できるのも、私たちの「心」にほかなりません。

そして、その鍵は、本当の意味での「主導権」を取り戻すことができるかどうかにかかっています。

主導権とは、決して、他に比べて優位な力を持つことではありません。自分が常に分水嶺に立っていることを感じ取り、事態を左右するのは自らの「心」であると自覚する力のことです。そして、その「心」の可能性を全開させる力のことです。

主導権を取り戻す生き方

自分が見ているものがすべてではない。

自分には背負いきれない事態の重さ、存在の尊さがある。

畏敬の念に基づいて、自分の感じ方、考え方を振り返ってみる。自分が拠りどころとしている前提、動機を見つめ直す──。

それは、主導権を取り戻すために、不可欠の歩みです。分水嶺にある事態を判断するには、それだけ感覚を研ぎ澄ませ、心を磨く必要があるのです。

人の眼はしばしば、自我の誘惑に曇り、心は歪みを抱えます。哀しいかな、人間は自分の感じ方によって、個々別々の世界をつくりあげ、その中に生きている存在です。自分に執着し、自分を優先して生きてきた人には、残念ながら、他の人の人生に本当の意味で共感する力、そして自分以外の視点から世界の現実を見つめる想像力を期待することはできません。当然、そのままでは、主導権を発揮することはかなわなくなってしまいます。

しかし、本当は、どんな逆境や混乱、絶望的な暗闇の中にあっても、私たちの「心」は、願いを見出し、理想を掲げ、光を求めて歩むことができる──。そのような主導権を取り戻すことができるのです。

今年も半ばを過ぎ、すでに後半の歩みに入っています。1年の歩みを想い、今、もう1度、その歩みを見直し、自らの主導権を見つめてみてはいかがでしょうか。本当の意味での主導権を取り戻すとき、私たちの現実は大きく変わります。その歩みを信じていただきたいと思うのです。

2019.7.28