
【日々の疑問】中高年をどう生きたらいいでしょうか?

今年で45歳になります。30代の頃はキャリアアップを目標に転職を繰り返しましたが、現在はあるIT系企業に落ち着くことができました。仕事はやりがいがあり、忙しい日々です。特に何か大きな問題や不満があるわけではありません。ただ、気がつけば人生の半分程度を過ぎたのかと思うと、「これでいいのかな……」と、漠然とした不安のような想いを抱くことがあります。
45歳男性・会社員
編集部より
ご相談、ありがとうございます。故事に「四十にして惑わず……」とは言いますが、実際は40〜50代は社会的な責任も増え、生活上の変化も大きく、どう生きたらよいのか、改めて悩む時期でもあるように思います。
高橋佳子先生は、中高年という時代をどのように生きたらよいのかということについて、著書の中で述べられています。ご相談に関連する箇所を一部抜き出してご紹介いたします。
日々の要請に応えるだけではなく、あなたの内側に耳を傾け、あなたの中にある人生の願いや目的を発見していただきたいのです

高橋佳子先生
『人生で一番知りたかったこと』より一部抜粋・要約
大きく時代が移り変わろうとしている中、とりわけ、30代半ばから50代の中高年世代の皆さんは、この時代の荒波に揉(も)まれ揺れ動かされる運命にあります。
仕事を持っている人であれば、男女を問わず、責任ある立場に立たされ、とりわけ長引く不況の昨今、業績の浮沈に一喜一憂しているのではないでしょうか。業績が上がらなければたちまち窓際に追いやられ、やがてはリストラの嵐にさらされるというのが現実かもしれません。また中間管理職として、若い世代の部下にどう関わっていいのかわからずに戸惑い、一方、上司に対しても頭が上がらない。まさに四面楚歌の状況に追いやられていると感じている人も少なくないはずです。
家庭にあっても、子どもたちが進学や就職の季節を迎えて、経済的にも環境が激変することになります。子どもとのつながりに不安を抱えている人も多いでしょう。健康状態も不安定な時期です。女性ならば、更年期を迎えて体調も悪く、気持ちのうえでもどうしても落ち着かず、不安になりがちです。最近は、女性ばかりではなく男性にも更年期があることが明らかになり、全身の倦怠感やめまい、頭痛、動悸といった原因のつかめない不定愁訴(しゅうそ)は、この世代特有の悩みになっているというわけです。
もちろん、この世代の方々が皆同じような現実を抱えているわけではなく、それぞれの条件は異なるものです。ただその一方で、社会的にも時代の波頭に立ち、事態からの要請を次々に受け続けるこの世代の人々が、この世代を生きるうえで、共通して考えなければならないことがあることも確かだと思うのです。
次から次に押し寄せる外からの要請に応えることで手いっぱいになり、自分の生き方を見失ってしまう――。そしてその影響が身体にも及び、過労とストレスによる突然死が、40代のサラリーマンに大変増えているとも言われます。また、懸命に取り組んできた仕事に失敗し、未来への希望を見失い、自殺さえ選択する人がこの世代に急増しています。それらは皆、この世代に強く投げかけられている、「生き方自体を見つめよ」との呼びかけではないでしょうか。
中高年世代が、今切実に問われていることがあるとしたら、それは、「人生の中心」ということだと私は思います。なぜなら、慌ただしい時の流れの中で見失ってしまうものが、この「人生の中心」だからです。
「この人生で、一体何を大切にしたいと願っているのか」「私の志はどこに向かっているのか」……。こうした言葉には、何とも言えない面はゆさを感じる人もあるかもしれません。ただここでは少し我慢していただきたいのです。立ち止まって、改めて、自分自身にそう問いかけてみていただきたいのです。
たとえ、私たちの中に、人生に対する願いや希望、志があったとしても、私たちが外からの要請や刺激にばかり応えようとしていたらどうでしょう。私たちはその中心をしっかりと保つことができません。外からの刺激や力にたちまちかき消され、見失われてしまいます。外側からの要請や圧力が次々に私たちの内に入り込んで浸食してくる「アウトサイド・インの人生」になっているからです。
「アウトサイド・インの人生」とは、外側(アウトサイド)から内(イン)へという生き方ということであり、常に、自分の外側に主導権を握られている生き方です。刺激が来るとそれに反応し、要請に応えることだけで時が過ぎてゆく。自分の人生でありながら、自らの人生の主人公であり得ない生き方です。
この「アウトサイド・インの人生」に対して、自分の内側にある目的や願い、そして志を中心とし、その中心から出発する生き方を、私は「インサイド・アウトの人生」と呼んでいます。内側(インサイド)から外(アウト)への人生は、外ではなく内に重心があり、主導権があります。ですから、外側からの要請がたとえどんなに強くても、自らの人生に対する主体性を失わず、その1つ1つを条件として引き受け、マイナスの条件でもそれを受けとめて、創造的な人生を築いてゆくことができるのです。
忙しさを感じていればいるほど、私たちの人生は、「アウトサイド・インの人生」に傾きがちになります。立場や責任の重圧の中で、次から次へと襲いかかってくる要請に応えなければならないとしたら、まさにその傾向の中にあるということです。また家庭でも、炊事・洗濯・掃除・育児……と、日々の要請に応えるだけで毎日が過ぎてゆくと感じていたら同じです。かつてない忙しさに応えているようで、実はその忙しさの中に埋没し、自分の内側に本当につながってゆく生き方ではなくなっている――。
それは、巷(ちまた)にあふれる情報に自分を合わせがちな若い世代にとっても無縁のことではないでしょう。現代は、普通にしていたら、「アウトサイド・インの人生」を生きてしまうようになっているのです。
それだけに、私たちに今呼びかけられているのは、「アウトサイド・インの人生」を脱出することです。まさに「アウトサイド・インの人生」から「インサイド・アウトの人生」へと転換することでしょう。
そして、そのために、私たちは心の声に、自分の内側に耳を傾ける必要があります。自分が本当はどう感じ、どう思っているのか。本当は何を求め、何を探しているのか。それを受けとめる――。そして何よりも、自分の本当の願いを見出すことが必要です。自然に社会の価値に適応することを第1に優先してきた人にとって、自分の中にある願いや目的を見出すことは容易なことではありません。外ばかりを見てきた人が、自分の内側を見つめることは大変なことだからです。
でも、それゆえにこそ、目を閉じて、あなたの中にある願いを探していただきたいのです。私たち自身の心の中にある目的をしっかりと感じていただきたいのです。この人生でどうしても果たさずにはいられない願いとは、私にとって、一体何なのだろうか。忘れることのできない志とは、一体どういうものだろうか……。
そんな確かなものはないと思われる方もこう考えてみてください。仕事に多くの時を費やしてきた人なら、それぞれの仕事の中で、何を大切にしてきたのでしょうか。何を守り、何を貫いてきたのでしょうか。そこにあなたの人生の目的、願いが呼びかけられているかもしれません。家事に追われてきたという方ならば、その家事をしながら守っていたのは何でしたか。その家事に尽くしてきたのは、何のためだったのでしょう。そこに、私たちの目的と願い、そして志を指し示すヒントが隠れているはずです。
人は皆、永遠の旅路を歩む魂の存在です。何も知らずに始まった人生ですが、永遠の生命観に立ったとき、誰1人として、何の願いもなく人生を始めた人はいないことがわかります。誰もが望んで生まれてきたということです。いつしか、忘却の彼方に追いやられ見失われたあなたの願いは、今もあなた自身の胸の内で、見出されることを待っているのです。