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【日々の疑問】どのような道徳教育が望ましいのでしょうか?

私は公立の中学校の教師をしています。教師の仕事に就いて、約30年――。最近の生徒や親を見るにつけ、昔とは大きく変わったように感じます。変わった生徒や親は昔からいましたが、以前は根底には年上を敬う最低限の礼儀や敬意をみんな持っていたように思うのです。現代において、どのような道徳を教えてゆくのがよいのでしょうか?

52歳男性・中学校教師

編集部より
ご質問者の方は、長年、教員として教育に携わってこられたとのこと。教育者として、教育の現場で日々、子どもたちの成長を願って尽力してこられたと推察いたします。だからこそ、刻々と変化する価値観や習慣の変化にとても鋭敏に応えようとされていらっしゃるのですね。
「2020年教育改革」の試みに代表されるように、現在、日本国内における教育のあり方を巡っては様々な議論が紛糾しています。また、今日、伝統的な価値観や道徳のあり方も揺らぎ、学校現場の教員の皆さんや親御さんから、「どのような道徳教育がよいのか」という疑問や質問も寄せられています。 こうした疑問や質問にお応えするために、GLA会員に毎月配布されている月刊『G.』の高橋佳子先生の連載の中から、ご質問に関連すると思われる箇所を一部抜き出して、ご紹介いたします。

これからの道徳教育を考えるなら、それは、21世紀の道徳教育でなければなりません

高橋佳子先生
「時の羅針盤157」(月刊『G.』2017年4月号所収)より
一部抜粋・要約

今、わが国の教育は、戦後最大と言ってもよい改革に向かおうとしています。

これまで日本の教育は、知識を吸収する教育、すなわち「知」の教育に重心を置いてきました。「それを偏重してきた」と言っても過言ではありません。

それに対して、今回の改革の大きな動きの1つは、入試制度の改革です。これまでの暗記中心の試験から、考える力を問い、それを評価する試験に変更しようというものです。この改革は、考える「力」、心の「力」の教育をめざすものだと言えるでしょう。

さらに、今回の改革のもう1つの特徴は、道徳が正式な科目として格上げされるという点です。

この点に関しては、様々な議論が噴出しています。その子細に踏み込むことはできませんが、私は、これからの道徳教育を考えるなら、それは、21世紀の道徳教育でなければならないと思います。

日本が古来、培ってきた文化や伝統の中にどれほど素晴らしいものがあったとしても、過去に回帰するだけではいけない。年長者や両親を敬い、愛国心を大切にするといった旧来の道徳観をそのまま土台とするのではなく、複雑で多様な時代を生きる指針となり得る――例えば、1人ひとりの人間の尊厳という原点から家族や共同体のあり方、国への関わり方を見直す中で、新たな道徳観が醸成される必要があるのです。

両親は両親だから敬われるのではなく、子どもたちをかけがえのないものとして愛し、守るからこそ、敬われる存在となるのです。国に対する想いも同じでしょう。国の過去だけではなく、現在と未来に誇りと希望を持てることで、国は愛され、守るべきものとなるのです。そのような国のヴィジョンと、そこへ向かう歩みがあってこそ、国を愛する心は自然に人々の中から生まれてくるものなのではないでしょうか。

しかしまた、今回の教育改革が道徳教育の復興を掲げたことには、時代の呼びかけ、その必然があると感じます。

戦後、人々の生活は長らく唯物主義に深く浸食されてきました。目に見えるもの、お金や自分のことだけを大切にすることが当たり前になりました。その影響の中で、あらゆる精神的な価値が矮小化されてしまった教育に、もう1度、内なる心の軸を導こうとする試みです。

道徳の核心にあるのは、とどのつまり、人間の尊厳を大切に受けとめ、他を思いやる心、正しいと思うことを貫く心、そして他と協力し合う心――。1つの言葉で表すなら、それは、「愛」の教育と言えるものです。

つまり、今回の教育改革がめざすところは、これまでの「知」の教育を、「知」「力」「愛」という心の総合力を育む教育に進化させること――。それが青写真だと思うのです。人間の心は、「知」だけによってつくられるものではありません。「知」と「力」と「愛」の3つがそろって初めて、本当の「人間の心」になり、本来の地力を引き出すことができる――。私はそう思います。

その意味で、今、日本の教育は、新たな挑戦に向かおうとしているのです。