時の羅針盤・270
時の羅針盤・270
青写真を求める
高橋佳子
「青写真」を求める日々に
2026年も、3分の2が過ぎ去り、残り4カ月──。
ここで、皆さんが年初に抱いた願いや抱負を思い出してください。
順調にその願いに向かって歩むことができているという方も、抱負を抱いたものの、なかなか思うように歩めていないという方もいるでしょう。
順調な日々を送ることができている人も、思うにままならない日々を過ごしてきた方も、年初に抱いた願いや抱負を大切にしたいと思うならば、日々、その時々の「青写真」を求め続けなければなりません。
それはいったい、どういうことでしょうか。
どんな出会いにも、どんな仕事でも、どんな場面にも、実現すべき「青写真」が託(たく)されています。そこで具現されることが願われている設計図がある──。それが「魂の学」(*1)に基づく世界観であり、「魂の学」のまなざしです。
たとえ様々な制約を抱える現実の中で、「こうするほかない」としか思えないことがらでも、そこには、「本来こうあるべき姿」=「青写真」が存在しています。
目の前の現実に、いつも「青写真」が託されていることを信じて、日々、一瞬一瞬の出会いや出来事に向き合ってゆく──。それが、私たちの願いや抱負の成就につながってゆくのです。
偶然と必然の間を生きる
「魂の学」を心に置いて日々を生きてゆくことは、私たちに大きな世界観の転換をもたらします。
その世界観の最たる変化は、「偶然の世界観」から「必然の世界観」への転換ではないでしょうか。
現代社会に生まれ育つことによって、ほとんどの人は、唯物的な世界観に染まります。それは、科学的な世界観と言うこともできます。世界は物質でできている。精神のはたらきも、物質である脳が生み出す活動によって生じたもの。結局、物質が生み出す現象に過ぎない──。
そして、物質の世界を支配しているのは、「偶然の法則」と言えるでしょう。
自分や関わる誰かが予定したものでないなら、そこで起こることは「偶然」です。
たとえば、仕事で出張先に出かけて行って、そこで学生時代の友人に出会う──。意図した出会いでないのなら、それは、「偶然」の出来事以外の何ものでもありません。
いつもは順調に取引先とのやりとりがすむと、納品も順調に行われるのに、今回は配送のアクシデントによって納品が遅れてしまった。そこに自分が関与する明確な原因が見当たらなければ、いつもとは違う出来事が起こっても、それは、「偶然」の出来事でしかないのです。
しかし、「魂の学」の世界観では、一見、「偶然」に見える出来事でも、そこに「偶然」を超える「呼びかけ」が届いているかもしれないと受けとめます。
出張先でかつての友人と出会ったのは「偶然」かもしれないが、「なぜ、この友人と出会ったのだろう」と考え、その意味を受けとめようとする──。「偶然」と「必然」の間を自ら往き来するのです。
取引上のアクシデントも、たまたま「偶然」の出来事なのか、あるいはそうではなく、本来、実現すべき「青写真」に近づくことを阻(はば)んでいるものがあることを知らせている出来事なのかもしれない──。そのように受けとめることを促されることもあるということなのです。
私たちが、「偶然」と「必然」の間を意識してつなぎ、外側の出来事を自分の内側に引き入れることによって、私たちは、それを内的な体験として生きることができるようになるのです。
人生の大いなる青写真実現へ
1つ1つの出来事に「必然」があるならば、私たちがその出来事と出会う意味が必ずあります。そして、それらは、私たちが人生全体を通じて実現しようとしている「大いなる青写真」のカケラを抱(いだ)いているということです。
私たちは日々、多くの出会いや出来事の「青写真」を探し、それを実現することを通じて、人生に託された「大いなる青写真」の具現の歩みを進めることができるのです。
2026.9.1
〈編集部註〉
*1 魂の学
「魂の学」とは、見える次元と見えない次元を1つにつないで人間の生き方を求めてゆく理論と実践の体系です。物質的な次元を扱う科学を代表とする「現象の学」に対して、物質的な次元と、それを超える、見えない「心」と「魂」の次元も合わせて包括的に扱おうとするのが「魂の学」です。それは、私自身の人間の探究と多くの方々の人生の歩みから見出された法則であり、「魂・心・現実」に対する全体的なまなざしによって、人間を見つめ、あらゆるものごとに応えてゆくことを願うものです。
(著書『最高の人生のつくり方』50ページより引用)