時の羅針盤・269
時の羅針盤・269
やり直す
高橋佳子
あきらめる人生
日々の酷暑に、心が折れそうになる人もいらっしゃるかもしれません。
そして、厳しい天候が人間の活動に制約をもたらすように、私たちの人生もまた、ある意味、「あきらめる」ことを知る歩みと言えます。
生まれ落ちた私たちは、自分の快苦の感覚のままに、快適であること、楽なこと、心地よいことを求めます。
しかし、多くの人が実感しているように、人生は思い通りになるものではありません。どんなに求めても、手に入れることのできないものがあります。
仏教の始祖・釈尊(しゃくそん)が「求不得苦」(ぐふとくく)と呼んだ「求めても得られない苦しみ」を味わいながら、人は、「あきらめる」=「断念する」ことを身につけてゆくことになります。
有名大学に進学し、一流企業に就職することを望んでも、誰もがその幸運を手にすることができるわけではありません。スポーツ選手や宇宙飛行士になりたくても、誰もが才能や機会に恵まれるわけではありません。そうした夢や願望の多くを「断念する」中で、人は「あきらめる」ことを覚えてゆくのです。
私たちが成長する歩みには、必ず「断念する」こと、「あきらめる」ことが繰り返されている──。つまり、大人になってゆくということは、「あきらめる」ことを知ることでもあるということです。
明らかに見る人生
しかし、「あきらめる=諦める」という言葉の語源は、実は、「明らかに見る」という意味の仏教用語です。「諦める」とは、単に「断念する」ことではないということです。
道理に照らして現実を見る。真理に即して事態をあるがままに捉える。それが、「諦める」=「明らかに見る」ということです。
「四諦八正道」(したいはっしょうどう)(*1)という言葉があるように、「諦める」の「諦」(たい)という文字は、真理そのものを意味しています。
自らの願望が満たされない現実を前にして、なぜ思い通りにならないのか、その道理を理解し、「明らかに見る」ことによって、執着や迷いから自分を解き放つ歩みでもあるのです。
人間の願望や欲望は、ときにどれほど身勝手なものになるか、それは、皆さんにも思い当たるところがあるでしょう。その現実に対して、道理をわきまえ、無理な願望や執着に突き動かされている自分を見つめて、そこから身を遠ざける──。それが、「あきらめる」ということの深意なのです。
あきらめない人生
つまり、「あきらめる」とは、道理に照らして見きわめ、断念すべきことを悟るということです。
逆に言えば、明らかに見た結果、断念すべきでないということもあるでしょう。
では、どう考えても「あきらめられない」ことがあるときは、どうすればよいのでしょうか。
もし、その願いや望みがあなたの本心、心の奥底にある魂の次元から生まれてきたものであるなら、それは、あきらめられるものではないはずです。なぜなら、その願いを果たすために、あなたはこの世界に生まれ、人生を生きているからです。だからこそ、どれほど失敗しても、もう1度立ち上がり、やり直すことが大切なのです。
願いの前にどれほど困難な障害が現れても、「明らかに見る」なら、それは、断念すべきではないかもしれない。なぜなら、まだどこかに道があるかもしれないからです。
そして、私たちの人生は、そのような「やり直し」を最初から許容しているのです。いつしか止めてしまった歩みでも、それを再開することができます。小さなつまずきがきっかけで倒れてしまっても、再び起き上がることができます。
「もう終わりだ」と思っても、再生することができる。どんなに厳しい状況になっても、「やり直す」余地がある。それが、私たちの人生です。
もう1度、向かってみる。もう1度、関わってみる。もう1度、信じてみる。そこから、人生の本当の輝きが現れてくるのです。
2026.8.1
〈編集部註〉
*1 四諦八正道
仏教の祖師・釈尊が示された考え方で、四諦(したい)(苦諦[くたい]・集諦[しゅうたい]・滅諦[めったい]・道諦[どうたい])とは、苦しみの実態・原因・それが滅した状態・そこへ至る道を示す「4つの真理」であり、その「道諦」の中身として示されたのが八正道=「八つの正しい実践の道」です。「苦」(く)とは人間が人生の中で直面する様々な苦悩の現実、「集」(しゅう)とはその苦しみの原因である迷いの心・煩悩のことであり、「滅」(めつ)とは「苦集」(苦しみとその原因)を取り除いた状態、苦しみの消滅であり、「道」(どう)とはその「滅」に至る道、修行のことを指しています。そして、八正道とは、正しく見、正しく思い、正しく語り、正しく仕事をなし、正しく生き、正しく道に精進し、正しく念じ、正しく定(じょう)に入る(心を安定させる)歩みを指します。
(月刊『G.』2018年2月号「時の羅針盤」6〜7ページより一部抜粋・要約、高橋信次先生著『心行』27ページより一部引用)