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時の羅針盤・227

時の羅針盤・227

条件を超える

高橋佳子


新たな挑戦は条件つき

新たな年に入ってから、早ひと月──。皆さんは、どのような抱負を抱き、どのような今年の目標を立てられたでしょうか。

私たちにとって新たな1年は、まだ何もわからない未踏の地です。そこにある可能性と制約は、カオス(*1)の中に折りたたまれていて、まだ輪郭もなく、姿形も何も現していません。

しかし、その1年は、何の制限もなくまっさらな状態で始まったわけではありません。昨年からの流れ、これまでの経緯があって、それが土台となり、条件になって、今年の歩みが始まっているのです。

それは、私たちの人生がまっさらな状態で始まっているように見えて、魂が抱いている可能性と制約、人生の条件を土台に始まっているのと同じようなものです。

私たちの人生は、誰もが白地の、何も描かれていないキャンバスに自由に絵を描いてゆくことに似ています。そこに何が描かれるのかは、本来自由です。何をどう描くかは、1人ひとりに任されていることです。しかし、本来そうであるからと言って、皆がそうでき、そう生きられるわけではありません。

1年の歩み方も、人生の生き方も、本来自由なものとして与えられているにもかかわらず、様々な条件によって大きな制限を受けることになるということなのです。私たちにとって、新たな節目から始まる新たな挑戦は、いずれもが条件つきの挑戦であるということです。

条件をどう捉えるか

皆さんは、私たちに与えられている条件について、どう受けとめているでしょうか。たとえば、人生の条件とは、私たちが生まれながらに持っている肉体と魂の資質、人生の最初期に与えられる生まれ育ちの条件と言えます。そこには、3つの「ち」(*2)も含まれます。

それらは、私たちが意識して望んで与えられたものではありません。生まれたら、自分に与えられ、「もうそこにあった」ものです。容姿や才能、家柄や経済的な状態、親戚関係、人脈、地縁……、そうしたものが私たち1人ひとりに固有のものとしてもたらされ、私たちの人生の初期条件としてはたらくのです。

それが人生にいかに多大な影響を与えるのか、それは筆舌に尽くしがたいものです。中には、それらの条件が人生のすべてを決めてしまうと考える人たちもいます。そのような人たちは、「裕福な家に生まれたら、すべてがうまくいっていたはず」「もっと容姿がよければ、華やかな人生が待っていたはず」「両親にもっと学歴があったら、自分のIQがもっと高かったら、自分の人生は全然違っていたはず」と、つい、ないものをうらやんでしまうでしょう。

そして、実際に多いのは、自分の人生の条件に満足していなくても、「その決定的な影響はどうすることもできない」と、半ば他人事のようにあきらめてしまうというケースではないでしょうか。

条件を超えるのが人生の醍醐味

皆さんは、どうでしょう。人生の条件に対して、どう向き合っているでしょうか。

「この条件なら、こういう人生」と、勝手な先入観で自分の人生を見てしまう人がいます。そこまではっきりと思い描いていなくても、自分が抱いている条件から、自らある種の限定をしたり、制限をつくったりする人は、少なくないのではないでしょうか。

私たちの人生の条件、それは、私たちが人生を歩むためになくてはならないものです。たとえ不足を感じたり、不満足だったりしても、私たちはその条件があるから生きる手立てを得るわけです。

しかし、その条件が貧しい環境や愛情に乏(とぼ)しい環境であれば、人生に暗い影を落とし、多くの制約を与えることになるでしょう。

でも、そのような条件を抱いたから、わかることやできることがあるのです。条件の厳しさが感性を鍛えたり、共感力を引き出したり、本当の実力を育てたりする──。恵まれた条件が可能性を引き出すだけではなく、過酷な条件が新たな境地を引き出すのです。

そして、条件を超えて生きるのが、私たちにとって人生の本当の醍醐味です。

新たな年、2023年という1年も、私たち1人ひとりが自らの条件をどう超えてゆくのか、それを待っているのです。

2023.1.28

〈編集部註〉

*1 カオス

カオスとは、まだ何の形も輪郭もなく、結果も結論も出ていない、様々な可能性と制約、光と闇を内に秘めた混沌とした状態を指します。もともとギリシア神話の原初神カオスが、その言葉の由来です。カオスは、宇宙開闢(かいびゃく)の直前、すべての光と闇、無であると同時に一切の可能性を秘めたものと言える状態なのです。そして、それは、「マルかバツか」を超える生き方を必然的に導きます。
(著書『最高の人生のつくり方』167ページより一部抜粋・要約)

*2 3つの「ち」

私たちが身を置く場所──それが地域であれ、職場であれ、業界であれ、そこには暗黙の前提、常識、価値観、そして生き方があります。そこで生きていれば、知らず知らずにその場の空気に深く染まってゆきます。それを私は、人間がその人生で必ず引き受けることになる3つの「ち」(血・地・知)と呼んできました。「血」は、両親や家族から流れ込む価値観や生き方。「地」は、地域や業界から流れ込む慣習や前提。そして、「知」は、時代・社会から流れ込む常識や知識、価値観。
(著書『最高の人生のつくり方』76ページより引用)