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一念発起し、最低のE評価から志望大学に合格!

何度挑戦しても失敗の連続……。頑張っても結果が出ない……。Tさん…

何度挑戦しても失敗の連続……。頑張っても結果が出ない……。Tさんは受験という試練を前に、まさに崖っぷちの状態まで追い詰められてしまいます。そこから「ウイズダム」(解決と創造の道を切り開くための智慧をもたらすメソッド)に取り組み、道を開いていったTさんの挑戦の歩みをご紹介します。

■医師を志したものの、2度の受験の失敗
――Tさんがそもそも医師を志したきっかけは何ですか?

T 小学生の頃から「かけ橋セミナー」(親子を対象とした、2泊3日で「魂の学」を学ぶセミナー)に参加して、高橋佳子先生のご講演をお聴きする中で、「人を癒やす仕事がしたい」という憧れを抱くようになりました。
 そして、高校2年生のときに、父からもらった高橋信次先生のご著書『人間釈迦』を読んで、お釈迦様が病に苦しむ人を癒してゆく姿に感動し、涙が止まらなくなったんです。「自分も身体の痛みを癒やして、その方の人生を癒やしたい」。それまで憧れでしかなかった「医師」という仕事を、「自分のミッションワーク(人生の仕事)として果たしてゆきたい」と思うようになりました。

――そこから本格的に医学部受験に向かったのですか?
T はい。高2という、受験生としてはかなり出遅れたスタートとなりました。また、勉強に対するイメージは苦しいものでしかなく、「早くこの圧迫から抜け出して、楽になりたい」「大学に合格さえできればあとは大丈夫」という想いで、とにかく受験のためだけの勉強になっていました。結果、2度も受験に失敗してしまったんです。

■崖っぷちの中で――「何があっても絶対に道を開く!」
――当時はどんな状態でしたか?

T 精神的にとても追い詰められ、全身にアトピーの症状も出て、眠れない日々が続いていました。「もうこの2浪目で最後にしよう」と決心していた2016年、「青年塾セミナー」(青年世代を対象とした、2泊3日で「魂の学」を学ぶセミナー)に参加し、そこで決定的な高橋先生との出会いを頂きました。
 セミナー3日目、先生はご講演の折に、19歳のときになさったご自身の志のご表明を、私たち青年に向けて再びしてくださったのです。先生の直球の呼びかけに、私の魂が震えました。「苦しくても、何があっても絶対に道を開くんだ」「今年駄目だったら、自分の願いは果たせない」と、受験を突破することと同時に、試練や圧迫に弱い自分を乗り越えることに挑戦することを決意したのです。

■無手勝流のやり方を超えて受験に合格
――どう挑戦したんですか?

T 一念発起して、大阪の予備校に通うために親元を離れ、受験勉強に専念しました。しかし、それでも2016年8月の模試では、志望校はE判定――合格率20%以下の絶望的な状態でした。
 「受験生プロジェクト」(受験を通して「魂の学」の実践に挑戦するプロジェクト)の中で先輩よりアドバイスを頂き、模試の結果(現実)と自分の心の関係を見つめてゆきました。すると、「早く楽になりたい」という想いの奥に、「2度の受験の失敗は思い出したくないし、後悔しても意味がない」と、現実から目を背けている自分が見えてきたんです。「自分は何も成長していなかった」という後悔とともに、「無手勝流のやり方では駄目だ」「今の現実を真正面から受けとめて、そこから始めよう」と心が定まりました。
 と同時に、中学1年生のときに高橋先生からかけていただいたお言葉が思い出されてきたんです。「君は、学校の窓から見える世界しか見えていない。もっと広い世界に応えるために受発色力(心の力)を鍛えなければいけない。そのための勉強なんだよ」
 当時、よくわからなかった先生のお言葉の意味が、私の心に深く沁みてきました。そして、そのときから受発色力を鍛えるための勉強とは何かと考えるようになり、これまでの勉強が、受発色力鍛錬のための勉強にがらっと変わっていったんです。
 丸暗記ではなく、なぜそのような解答になるのか、解き方の理由にまで遡っていって根本的に理解するようになると、原理がわかり、応用力がつき、結果的にみるみる成績が上がり、志望大学の医学部に合格することができたんです。

■患者さんの苦しみを全身全霊で受けとめる医師に!
――憧れる医師像はありますか?

T 私は、トータルライフ医療の先輩である許斐博史医師の実践にとても強い憧れを抱いています。
 患者さんがどんな人生の条件を抱えていても、可能性を開けるように、患者さんの苦しみを全身全霊で受けとめて寄り添う医師になりたい――。そして、患者さんの人生が輝くためのお手伝いをしたいと願っています。