
時の羅針盤・257
時の羅針盤・257
条件を超える
高橋佳子
可能性と制約を知る
私たち人間は、様々な可能性を抱く存在です。
しかし、その可能性を十全に発揮しているのかと言えば、必ずしもそうではないのが実状です。
それは、なぜでしょうか。なぜ私たちは、もてる可能性をそのまま発揮することができないのでしょうか。その理由は、人間は可能性だけではなく、その可能性を阻む制約を同時に抱いているからです。
私たちは、常に願いを抱いて、永遠の生命を生きる魂の存在です。しかし、生涯をかけて果たしたいという願いの一方で、その願いを壊すカルマを抱く存在でもあるということです。
人生の途上で魂の願いを見出したとしても、私たちは、常にカルマの影響に脅かされています。可能性の影に常に制約があることを忘れてはならないということでしょう。
そして、その逆もまた真実です。カルマで人生を壊そうとしているときでも、私たちの内には、人生を貫く魂の願いが息づいているのです。その願いを手繰り寄せることができるなら、私たちは、必ず人生を取り戻すことができます。
自らが可能性と制約を抱く存在であると自覚することは、人生を力強く歩んでゆく手立てとなるのです。
条件を超える生き方がある
人生に与えられた厳しい条件が、その人生に束縛をもたらすことは、残念ながら、避けることのできない現実です。
貧しい生まれ育ちや家族の愛情が欠落した条件を与えられるなら、その人は、様々な厳しい現実を生きることを余儀なくされます。我慢や忍耐を強いられ、数え切れない断念を積み重ねることにもなるでしょう。
その中で悲観的になり、ものごとに対してすぐにあきらめてしまう心をつくり出すことは、決してめずらしいことではありません。
一方、自分に降りかかる苦難を世界からの仕打ち、悪意として受けとめ、世の中や他の人々に対する不信感を抱いてしまう人もいます。周囲に対する警戒心をあらわにしたり、自分と異なる意見を発する人に過剰な敵対心を示してしまったりするのです。
それらの心の傾向とつぶやきは、あたかも「憑(つ)きもの」のように私たちの心に貼りつき、人生を束縛してしまうでしょう。
しかし、それがすべてではありません。そうした現実の中でも、痛みを抱える人たちや苦境に陥っている人たちへの優しさや共感を育んでいる人も少なくないのです。自分自身が痛みを体験したからこそ、痛みを抱える人たちの苦しみを感じ取り、思いやることができる──。
それは、ある意味で、人間の大いなる可能性が引き出された瞬間であり、人生の条件がもたらす束縛を解いた瞬間でもあるのです。
ここまで、貧しさや愛情の欠落といった負の人生の条件を与えられた場合について触れてきましたが、逆に、望ましい条件、たとえば裕福な家庭に生まれたり、十分な愛情を注がれたりする場合も同じです。
恵まれた条件が、常に可能性だけをもたらすわけではありません。恵まれた条件に安住し、自分の幸福だけに満足して安穏と過ごしてしまったり、自分を特別視して優位にふるまったりするなら、それは、自ら人生の束縛を生み出しているに等しいのです。
人生の条件によって、恵まれた環境を与えられたからこそ、周囲の人たちを助け、支えて生きる──。それでこそ、その条件から本当の可能性を引き出すことができたと言えるのではないでしょうか。
人生の可能性を生きるとは
今月は、ぜひ「人生の可能性を生きる」ということを考えていただきたいのです。
様々な人生の条件を可能性として生きるのか、それとも制約として生きてしまうのか、私たちはいつも選択を迫られています。
それは、プラスの条件ならマル、マイナスの条件はバツということではありません。マイナスの条件に見えても、そこに必ず隠れている可能性をどう引き出してゆくのか。プラスの条件に見えても、そこに隠れている制約をいかに見極め、超えてゆくのか。そのことを果たすことによって、私たちは、人生に預けられた本当の可能性を引き出すことができるのです。
2025.8.1