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時の羅針盤・241

時の羅針盤・241

志を響かせる

高橋佳子


志を抱く1年に

1年の中で、2度目の始まりとなる4月──。日本の公のカレンダーの多くは、4月から始まる年度に従っています。学校も役所も、そして多くの企業も、新たなサイクルを迎えるのが、今月4月なのです。

ならば、仕事において、勉学や部活動、友人関係において、新たな年度のテーマを考えてみてはいかがでしょうか。

今年、年初に抱いた目標を改めて見つめることもよいでしょう。

ただし、今月、私が皆さんに呼びかけさせていただきたいのは、通常の目標を考えたり、見つめたりすることだけではありません。私がお願いしたいのは、何よりも1年を貫く「志」を改めて抱いていただきたいということなのです。

「志」とは、どのようなものでしょうか。それは、ただの目標ではありません。辞書を引くと、「心に決めてめざしていること。また、こうなろう、このことをしようと心に決めること」と記されています。

「志」は、「心」の上に、「之(ゆ)く」という意味をもつ「士」が乗っている文字です。「志」は、本当の心の「ゆく」ところ、つまり私たちの本心がめざす場所であり、「この場所をめざす」と本心が決めることなのです。

自分の本心がどこに向かっているのか、そのめざすところをはっきりと意識して、それを心に掲げて、念じ、行(ぎょう)じてゆく──。それこそが「志」を抱くということにほかなりません。

志は何をもたらすのか

私たちが本心からの志を抱くとき、いったい何が起こるのか──。それは、ある意味で想像を超えるものです。

志は、それまでの自分とは異なる自分に、私たちを導くものです。私たち自身の意識を一段高いところに引き上げてくれるのです。

志の「本心がめざす場所」とは、私たちの現状とは違うものでしょう。それは、私たちが自らを変革することなしに、そして自分自身を成長・進化させることなしに到達することはかなわない場所です。つまり、新たな自分を引き出すことによって、初めて手が届く場所──。私たちがそれまでの自分とは違う、「もう1人の自分」を引き出すことと1つになっているのです。志とは、いつもそのような高みを求める本心の願いそのものなのです。

志を抱く前と、抱いた後では、確かに何かが変わります。

私たちは、志によって、内なる力を、自分のことだけではなく、周囲の人たちのことや、さらにその外側のことをもち上げるために、使えるようになります。自分の力を自分を超えて、周囲や世界に貢献するために行使できるようになるということです。

そして、そのようなものだからこそ、志は、私たちの人生や周囲の現実に清新な風を吹き込んでくれるのです。

同じ事態のはずなのに、志を立てた後では、何か事態が新たに生まれ変わったように感じられる。何度挑戦しても、うまくゆかなかった現実なのに、「もう1度、挑戦してみよう」という気持ちにさせてくれる──。どうすることもできなかった事態でさえ、その事態を打開する新たな扉を私たちに用意してくれているように思えるのです。

志を響かせる

私たちは普段、人生の多くの時間を何とない願望と欲求に揺れ動きながら過ごしています。お腹がすけば、食事のことばかりが頭を巡り、喉が渇けば、飲み物を買ってくる。興味のあるテレビ番組や雑誌の広告が目に入れば、次から次にそちらに意識が引っ張られる……。

しかし、「志」は違います。様々な雑多な状況にあっても、意識を散らすことなく、集中することができる──。私たちの心の深く、本心の願うことが「志」に結晶したものだからです。

「私は、こう生きたい」「このことを今年は果たしたい」──そのような本心の声は、それ自体が1つの力を抱いています。「志」を響かせるとき、私たちは1つの周波数を発し、それは、世界に有形無形の影響を与えてゆきます。世界には、その「志」の周波数と響き合うことを待っている人、共鳴する魂が必ずどこかにいるのです。

私たちは、自らの限りを尽くして、志を響かせ、その共鳴を起こしてゆかなければなりません。そして、その歩みは、よりよき流れを世界に生み出してゆく王道なのです。

2024.3.30